
人為的な地球環境の改変を根拠に、「現在は新しい地質年代である『人新世』に区分される」という考えがあります。今のところ、人新世は正式な地質年代とはなっていませんが、どの指標を基準に人新世を定義するかについての議論が続いています。
筑波大学のZhiyuan Shi氏などの研究チームは、大分県の別府湾海底の堆積物に含まれる放射性同位体「ヨウ素129」の量を分析して、人新世を定義するマーカーとして使えるかどうかを検討しました。詳しくは後述しますが、ヨウ素129の持つ性質が、マーカーとして有利にも不利にもなり得るからです。
分析の結果、懸念されていたヨウ素の不利な性質はほとんど現れることがなく、ヨウ素129は人新世のマーカーとして使える可能性があることが示されました。これに加え、火山活動や台風が起こった痕跡を示すマーカーとしても使える潜在的な可能性が示されました。
新しい地質時代候補「人新世」、どのように定義する?

地層の記録に基づき、地球の約46億年間の歴史を時代区分したものを「地質年代」と呼びます。その定義上、地質年代は地層に含まれる鉱物や化石など、なにかしらの物質的証拠に基づいて区別されます。異なる地質年代とは、単に時間的な違いだけでなく、生物相や気候など、地球規模の大きな環境の違いを表しています。
近年、新しい世(※1)相当の地質年代として「人新世」の新設が提案されています。これは、現行で最も新しい地質年代である「完新世」よりも新しい、現在を含む時代として提案されているものです。
人新世を新設する提案は、ヒト(人類)の文明活動によって地球環境が変化していることを根拠としています。確かに、ヒトの文明活動は着実に地球環境を変化させており、地表面環境や大気組成の変更、生物種の絶滅などが証拠として現れます。
※1…地質年代は、大きな時代区分から順に「累代」「代」「紀」「世」「期」と細分化されています。人新世は下から2番目の細かさとなります。
しかし、地質年代として人新世を定義するためには、地層に残された証拠を見つけて、地質年代の根拠とする必要があります。いくら地表で変化の痕跡が見つかっても、地質年代は地層で定義を作ることが前提となっているためです。
完新世と人新世の境界の1つとして提案されているのが西暦1952年です。この時期前後の地層を調べてみると、天然にはほとんど存在しない、核爆発に由来する放射性同位体(※2)が、1952年を境に急増していることが分かっています。これはちょうど、大気内核実験の回数が急増した時期と一致しています。
※2…原子核のうち、崩壊せずに安定しているものを「安定同位体」、時間が経過すると崩壊して別の原子核に変化するものを「放射性同位体」と呼びます。
ただし今のところ、人新世の設置や、時代の区切りを1952年とする点については、正式には決定していません。少なくとも、2024年に国際地質科学連合の下部組織で投票にかけられた際には、新設が否決されているため、“現在”は公式には「完新世メガラヤン」に分類されます。
否決理由は公開されていませんが、一般的に「定義に関する議論が尽くされておらず、設置を決定するのは時期尚早だと判断された」と考えられています。人為的な環境改変が行われたことそのものには議論の余地はないものの、人為的な環境改変にもいろいろな捉え方があるため、何を区切りするのかについて議論が尽くされていないという判断がされたものと考えられます(※3)。もちろん、時代の区切りに合意が得られたとしても、人新世を新設することに合意が得られるかどうかは別問題です。
※3…例えば、二酸化炭素濃度が極小値を記録した1610年や、金属精錬に伴う鉛が地層に見られる紀元前1000~0年頃などが提案されています。
ところで、地質時代の区切りを、西暦1952年のような一桁単位で提案するには、その根拠となる地層の証拠も1年単位の精度で区別できる必要があります。そのような証拠が見られる地層は、その地質時代の根拠となる国際基準点(ゴールデンスパイク)として選ばれる可能性があります。人新世の場合、そのような地層の有力候補の1つとして、大分県の別府湾海底の堆積物が提案されていました。
別府湾の海底は、湾内が深い一方で沖が浅いため、外洋からの海流が入り込みにくい形状です。これは、海底が海流によって乱されにくいということに繋がります。また、別府湾の地層からは放射性同位体だけでなく、マイクロプラスチックや重金属のような、人為的に排出された他の物質の痕跡も発見されています。
そして、別府湾は流入する河川の水量の多さから、1年で0.3~1.2cmという非常に速いペースで堆積物が堆積するため、1年単位、時にはそれより細かい単位で、堆積物中の物質の量の変化を測ることができます。堆積速度の速さにより、地層の1枚(単層)、時間的には1年を肉眼的に区別できるほどです。
2024年の人新世新設の投票段階の時点で、別府湾は国際基準点には選ばれていませんでした。しかし、これに準ずる立場である標準補助境界摸試層に選ばれており、学術的な価値が高い地層であることに変わりはありません。
マーカー候補「ヨウ素129」とは?

筑波大学のZhiyuan Shi氏などの研究チームは、この別府湾堆積物に残された人新世の証拠として、「ヨウ素129」という放射性同位体が使えないかどうかを検討しました。半減期約1600万年の放射性同位体であるヨウ素129は、天然でもわずかな量が自然発生しますが、人為的な活動に伴う放出もかなりの量に上ります。発生源の大部分を占めるのは、かつて行われていた大気内核実験と、核燃料再処理施設です(※4)。
※4…チョルノービリ原子力発電所の事故や、東京電力福島第一原子力発電所の事故など、原子力事故でもヨウ素129は放出されますが、これらは発生源全体から比べるとわずかです。
先述の通り、人新世を示すためのマーカーとして放射性同位体を使用する提案は珍しくありませんが、ヨウ素129については、その性質がマーカーとして利点にも難点にもなりうるため、使えるかどうかが分かっていませんでした。
マーカーの利点となる性質として、水に溶けやすく、揮発性が高い(低い温度でも気体になりやすい)性質が挙げられます。これらの性質は、大気や海洋を通じて、地球全体に拡散するのを手助けします。地質年代は世界中のあらゆる場所で使われるため、地球のどこでも濃淡のムラなく存在し、どの地点でも分析で見つけられる物質は明確な利点となります。
しかし、水に溶けやすいという性質は、マーカーとしての難点にもなります。ヨウ素は水に乗って遠くまで簡単に移動し、狭い隙間でも入り込んでしまいます。つまり、地層が堆積した後にヨウ素129が移動してしまえば、地層内部の濃度の値が信用できなくなり、マーカーとしての信頼性にも欠けてしまうことになってしまいます。
ヨウ素129から見える環境変動の痕跡

Shi氏らは今回、別府湾海底の堆積物に含まれるヨウ素129の量を調べました。研究チームはまず、2019年に厚さ90cmの堆積物を採集しました。今回の研究では、このうちの1915年から2019年までの範囲の地層について、ヨウ素を抽出・分析し、ヨウ素129の量を決定しました(※5)。
※5…年代の決定は、既に確立している方法である、鉛210およびセシウム137による年代決定モデルを使用しました。これにより、採集された堆積物が、1900年から2019年までに堆積した地層であることを確認しました。

分析の結果、天然に豊富に存在するヨウ素の安定同位体(ヨウ素127)と比較して、ヨウ素129の量は1000億分の1から100億分の1程度存在しました。これは言い換えると、堆積物を1t集めても、ヨウ素129は数億分の1g程しかないほどです。
これほど微量ですが、それでもヨウ素129の量の変化を捉えることに成功し、1940年代から顕著に増加していることが示されました。分析手法の関係で生じる誤差も考慮した上で、ヨウ素129の顕著な増加は、人為的に放出されたヨウ素129の流入による影響であると結論付けることができます。
一方で、安定同位体を含めたヨウ素全体の総量は、どの年代でも堆積物1tあたり60g前後でほぼ安定しています。またこの含有量は、淡水が流入し、外洋からの海流が入り込みにくい別府湾の環境で想定される数値と矛盾しません。この結果は、堆積物の中でヨウ素がほとんど動かなかったことを示しています。これは、移動性の高いヨウ素129でも、人新世のマーカーとして使える可能性があることを示しています。
さらに副次的な結果として、1957年、1973年、1983年の3つの年では局所的にヨウ素の量が増えているという結果が得られました。研究チームは、1973年は活火山の鶴見岳・伽藍岳の噴気活動による影響、1957年と1983年は台風などの大量の雨水を伴う気象現象による影響であると予想していますが、理由を確定するには追加の研究の必要があることを認めています。
今回の研究結果は、ヨウ素129が人新世を定義するためのマーカーの1つとして、また火山活動や異常気象のようなイベントを探るマーカーとしても使える可能性があることを示しています。世界中に拡散しやすいヨウ素129を使えば、他の情報と合わせることで近代の気候・環境の変化を精度よく理解することに繋がるでしょう。
ひとことコメント
別府湾で示された今回の研究結果は、ヨウ素129を通じて過去の環境を見ることができる可能性を示しているのよね。(筆者)
文/彩恵りり 編集/sorae編集部
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