今、私たちは新生代第四紀の完新世と呼ばれる時代を生きています。完新世は最終氷期の終わりとともに約1万1700年前に始まったとされていますが、これに続く新たな時代区分として「人新世(じんしんせい、ひとしんせい)」が定められようとしているのをご存知でしょうか。

人新世は地球環境に対する人類の影響が顕著に現れるようになった時代として、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンさんが2000年に提唱しました。2023年7月には化石燃料の使用や核実験といった人類活動の痕跡が湖底の堆積物に残るカナダのクロフォード湖が人新世の基準地に選ばれましたが、そのような痕跡は日本の別府湾の海底堆積物など地球のあちこちに残されています。

【▲ アポロ11号のミッションで地震計を設置するバズ・オルドリン宇宙飛行士(Credit: NASA)】
【▲ アポロ11号のミッションで地震計を設置するバズ・オルドリン宇宙飛行士(Credit: NASA)】

現在検討されているのは「地球の」地質時代としての人新世ですが、忘れてはならないのは、人類の活動領域がすでに宇宙にまで広がっているという事実です。カンザス大学・カンザス州立地質調査所(KGS)の博士研究員Justin Holcombさんを筆頭とする研究チームは、20世紀半ばから人類による有人・無人の探査活動が始まった「月でも」人新世を定める時が来たと主張しています。研究チームのコメントはNature Geoscienceに掲載されています。

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1959年9月に初めて月へ到達した旧ソ連の無人探査機「ルナ2号(Luna 2)」以降、有人無人を問わず多数の探査機や着陸船などが月面に着陸・衝突してきました。たとえばアメリカ航空宇宙局(NASA)のアポロ計画で月面に残された人工物には、月着陸船の降下ステージに月面車、各種科学装置や旗だけでなく、ゴルフボール(アポロ14号のアラン・シェパード船長が打ったもの)まで含まれています。また、NASAの月周回衛星「ルナ・リコネサンス・オービター(LRO)」が撮影した画像からは、探査機の衝突で生じたクレーターの位置を正確に特定することもできます。

【▲ 2022年11月~12月にかけて実施されたアメリカ航空宇宙局(NASA)の「アルテミス1」ミッションにて「オリオン(Orion)」宇宙船のカメラで撮影された月と地球(Credit: NASA)】
【▲ 2022年11月~12月にかけて実施されたアメリカ航空宇宙局(NASA)の「アルテミス1」ミッションにて「オリオン(Orion)」宇宙船のカメラで撮影された月と地球(Credit: NASA)】

月には地球のような大気がなく、侵食や堆積といった表面の変化は地球よりもずっと遅く進行するため、こうした痕跡は月面に長い間残されることになります。研究チームは、民間宇宙企業による月面へのアクセスが活発化しつつある今、月面に対する影響の記録・研究を促進するために、ルナ2号の衝突で始まった可能性がある「月の人新世」を定める時が来たと述べています。

人類の影響は月を訪れた痕跡だけに留まるとは限りません。月にもガスや塵でできた希薄な大気は存在することが知られていますし、近年の観測結果をもとに、月の極地の永久影には氷(水の氷)が埋蔵されていると考えられています。月に送り込まれた探査機は着陸する時にロケットエンジンを使用しますが、2020年に発表された研究によると、エンジンの燃焼ガスが月の周囲に一時的な薄い大気を形成し、ガスに含まれる水蒸気の多くは月の極地にまで移動している可能性がシミュレーションで示されたといいます。研究チームはこの研究成果を引用して、将来の月探査ミッションでは希薄な大気や永久影の氷といった燃焼ガスの影響を受けやすい月の環境を考慮する必要があると指摘しています。

【▲ インドの月探査ミッション「チャンドラヤーン3号」のローバー(探査車)に搭載されているカメラで2023年8月30日に撮影されたランダー(着陸機)(Credit: ISRO)】
【▲ インドの月探査ミッション「チャンドラヤーン3号」のローバー(探査車)に搭載されているカメラで2023年8月30日に撮影されたランダー(着陸機)(Credit: ISRO)】

その歴史を通して、人類は地球のあちこちに遺跡を残しつつ、地球の環境にまで影響を及ぼすようになりました。新たな宇宙開発競争の下では50年後の月の景色は一変してしまうかもしれないと述べるHolcombさんは、「月は不変である」という通説を払拭し、人類が及ぼす月面への影響について手遅れになる前に議論を始めることを目指しているといいます。

ただ、研究チームは月に対する人類の影響すべてをネガティブに捉えてはいません。月面に刻まれた宇宙飛行士の足跡についてHolcombさんは、アフリカに始まった現生人類の旅路の延長に位置付けられる極めて重要なマイルストーンだと語っています。国内外の民間企業が月に着陸機を送り込むようになり、およそ半世紀ぶりの有人月面探査計画も進められている今こそ、月面の環境と人類の遺産の保護・保存を真剣に考え始めるべき時なのかもしれません。

【▲ アポロ11号のミッションで月面に刻まれた宇宙飛行士の足跡(Credit: NASA)】
【▲ アポロ11号のミッションで月面に刻まれた宇宙飛行士の足跡(Credit: NASA)】

 

Source

  • The University of Kansas – Scholars say it’s time to declare a new epoch on the moon, the ‘Lunar Anthropocene’
  • Holcomb et al. – The case for a lunar anthropocene (Nature Geoscience)
  • Prem et al. – The Evolution of a Spacecraft-Generated Lunar Exosphere (Journal of Geophysical Research: Planets)

文/sorae編集部

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