「重力」はごく身近な力のひとつです。われわれ人間は地球上をふわふわ浮いているわけではなく、重力によって地上につなぎ止められていますし、どれほど高くジャンプしてもすぐに着地します。テーブルが大きく傾けば、その上に置いてあるものは床に向かってなだれ落ちます。
こうした現象はわれわれにとって“自然”なことであるため、ふだんから重力の存在を意識する人はあまりいません。しかし、重力は宇宙を形作る上で本質的に重要な役割を果たしてきました。重力が存在しなければ、太陽や地球はもちろん人間も誕生せず、「重力とは何か」などと頭を悩ませる者も存在しなかったはずです。
では、重力とはいったいどんな力で、ほかの力とは何が違うのでしょうか? 重力についての理解は時代によって変遷し、現在では重力の存在そのものに疑問を投げかける研究者もいます。前編となる本稿では宇宙における重力の役割とニュートン力学までの重力研究の歴史を追います。
■宇宙は“重力の作品”?
われわれの宇宙の“主役”は「重力」といえるかもしれません。重力は宇宙の誕生時から現在まで、ありとあらゆる天体、そしてそれらを形づくる粒子のひとつひとつに力を及ぼしてきました。重力は宇宙のいたるところにその痕跡を残しただけでなく、現在もさまざまな天体現象を引き起こしています。少々大げさに表現するならば、われわれの宇宙全体が“重力の作品”なのです。
たとえば、地球は太陽のまわりを公転しています。これは重力が地球を太陽につなぎとめているためです。火星や木星などの惑星、その他の小惑星などもすべて、太陽の強大な重力に引きつけられています。
その太陽も、天の川を構成する幾千億の星々のひとつです。さしわたし10万光年もあるわれわれの銀河では重力が星々をゆるく束縛し、その結果として天の川銀河は形を維持しながら回転しつづけています。
星(恒星)の一生もまた、重力によって決定づけられています。星が誕生するとき、その材料となるガスや塵(ダスト)などの物質はたがいに重力によって引きつけられます。こうして集合した物質はまたも重力によって強く押し縮められて“点火”し(すなわち核融合反応の始まり)、星として輝きはじめます。つまり、われわれが日々享受している太陽の光と熱もまた“重力の賜物”といえます。
巨大な星の最期に起こる衝撃的なエネルギー現象「超新星爆発」は「重力崩壊」によって発生します。星が燃料を使い果たして自重を支えられなくなったとき、星を形作っていた物質が重力によって一瞬で押しつぶされたかと思うと、中心部で激突して宇宙空間に吹き飛ぶのです。これが超新星爆発です。
この爆発で“爆心地”に残った物質も、ふたたび重力崩壊に見舞われます。それらは自らの重力によって強力に圧縮され、中性子星やブラックホールのような“エギゾチックな天体”(※1)に生まれ変わります。
さらに、広大な宇宙の命運もまた、重力が握るとされています。宇宙の物質密度が高すぎれば、重力によって遠い未来に時空が収縮しはじめ、ついには宇宙全体が潰れるかもしれません。逆に、宇宙の膨張が加速した結果、重力ではそれをとどめられずに時空が“引きちぎられる”可能性も指摘されています。
しかし、これほど重要でありながら、人間はまだ重力について十分な理解には達していません。
■ガリレオの「落体の法則」
重力について最初期に考察したのは、古代ギリシアの大哲学者アリストテレスとされています。紀元前4世紀に生きた彼にとって、重力とは「物質が“本来の居場所”に戻ろうとする力」でした。彼は、宇宙は土・空気・火・水の4大元素で構成されていると定義し、このうち水と土は宇宙の中心(=当時は地球の中心)に属するため、つねにそこへ向かおうとすると考えたのです。さらに彼は、重い物体ほど強い重力が働き、より大きな速度で落下すると主張しました。
物体は地球の中心に向かい、その速度は重いほど大きい──アリストテレスのこの見方は、ガリレオの登場まで科学界の主流を占めることになります。
他方、別の視点から重力を考察していた人々もいました。紀元前3世紀、古代ギリシアのアルキメデスは物体の「重心」という概念を提示しました。彼は三角形や平行四辺形などさまざまな図形に重力が作用したとき、それらには1点で吊り下げても釣り合いを保つ点が必ずあることを見いだしたのです。この点が重心です。後述するニュートンは物体の重心(正確には質点)に全質量が集中しているとみなして、万有引力の理論を構築しました。
さらに紀元前2世紀には中東の都市セレウキアのセレウコスが、海に干満があるのは月が地球の海の水を引きつけるからだとする説を残しています。これは地球以外の物体も重力をもつという最初の指摘かもしれません。
重力の本質にさらに迫る議論が始まったのは17世紀頃でした。ドイツ出身のヨハネス・ケプラーは17世紀初頭に惑星運動の3つの法則、いわゆる「ケプラーの法則」を発見し、太陽系の中心が地球ではなく太陽であると明確に示しました。注目されるのは、これらの法則が天体間に働く重力の存在を示唆していたことです。後にニュートンが万有引力の法則に至ったのも、このケプラーの法則あってこそといえます。
さらに、ピサの斜塔の実験の逸話(真偽は不明ですが)でも知られるガリレオ・ガリレイは、17世紀にアリストテレスの見方をくつがえし、物体の重さと落下速度には関係がないと主張しました。「落体の法則」として知られるこの理論は、鳥の尾羽でも巨大な鉄球でも(空気抵抗を受けない真空中であれば)落下速度が変わらないことを示しています。加えてガリレオは、物体は落下しながら加速する、つまり「重力は加速度として表現される」ことに気付いたのです。
しかし、重力をそれまでよりもはるかに広い視野でとらえたのは、近代物理学の礎を築いたアイザック・ニュートンでした。彼が有名な「万有引力の法則」を思いついたのは1666年頃、彼の在籍していたケンブリッジ大学が致死的な感染症ペスト(黒死病)の流行とロンドン大火のために長期にわたって閉鎖されていた時期だといわれています。
■リンゴの落下と月の落下
故郷の果樹園の木陰で休んでいたニュートンに、落ちてきたリンゴがぶつかった──それこそ彼が万有引力を思いつくきっかけだったとする伝説があります。
友人の考古学者ウィリアム・ステュークリによれば、ニュートンはケンブリッジ大学で食後にくつろいでいるとき、万有引力の発見について中庭のリンゴの木を見ながら次のように語ったといいます。
「リンゴはつねにまっすぐに地面へ落下する。それはなぜかと考えたんだ。なぜリンゴは横に向かったり上昇したりせず、地球の中心へと向かうのか? それは地球がリンゴを引きつけているためではないか、と」
しかし、これだけではアリストテレスの茫漠とした見方とたいして変わりません。ニュートンのアイディアの真の価値はその先にありました。彼はリンゴの落下と同様に、「月も地球に向かって落下している」と考えたのです。
ニュートンは著作『A Treatise of the System of the World(世界体系についての論説)』(※2)にて、月に作用する重力を説明するうえで、とてつもなく高い山に置いた大砲を真横に向けて発射する思考実験を示しています。発射された砲弾は、地球の重力によって放物線を描いて落下します。われわれが地面と平行にボールを投げたときの様子と変わりません。
しかし、砲弾を非常に速いスピードで発射すればどうでしょうか? 砲弾はもっと遠方にまで達するはずです。そして、地球の表面は平面ではなく、曲面です。仮に、砲弾が100m進むうちに高度が1m下がったとしても、同じ距離を進むうちに地表面も1m低くなっているとしたら、砲弾はいつになっても地表に達することなく“落下しつづける”はずです。いいかえれば、このとき砲弾は地球を周回しはじめるのです。
砲弾の周回速度は、砲弾の高度、重力加速度、それに地球の半径をもとに幾何学的な手法で求めることができます。たとえば、国際宇宙ステーション(ISS)が周回する高度約400kmでは、安定して周回するには秒速7.7kmが必要です。
だとすれば、はるか遠方の月もまた地球の重力に引かれて刻々と落下しつつ、地球を周回しているとみなせるのではないか──こうしてニュートンは、リンゴの落下と月の周回を見事に結び付けてみせました。
■フックに激怒したニュートン
実をいえば、ニュートンが自説を発表する1687年以前にも、惑星を引きつける太陽の力に気付いた科学者がいました。バネの法則で知られるロバート・フックや彗星の回帰を示したエドモンド・ハレーなどです。
彼らは1680年頃、惑星に働く引力は太陽から離れるほど弱くなる、具体的にいえば引力は距離の2乗に反比例する(逆2乗の法則)と考えました。しかし、その引力をもとにケプラーの惑星運動の第1法則、すなわち「惑星軌道は楕円」を導くことはできなかったのです。フックは自分には計算できると豪語したそうですが、その結果を誰にも見せようとしませんでした。
しかし、ニュートンは違いました。彼の強みは数学にあったのです。ハレーに「逆2乗則で力を受ける天体はどう動くか」とたずねられたニュートンは、「楕円」と即答しています。驚いたハレーがなぜわかるのかと質問すると、ニュートンは「昔、計算したんだ」と答えたのです。
一般には『プリンキピア』と呼ばれる著書『Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica(自然哲学の数学的諸原理)』で、ニュートンは幾何学的な手法を駆使して「万有引力の法則」を説明しています。ニュートンは万有引力の法則の発見と時を同じくして積分や微分を生み出したので、それらを用いてより簡単に惑星軌道を計算することもできたでしょう。
ちなみにフックは自分が先に逆2乗の法則を発見したと主張し、その成果をニュートンが盗んだと非難しました。実は、2人は以前にも光の解釈をめぐって論争したことがあり、そのときは和解したものの、フックが逆2乗の法則の先権を主張したことで不和が再燃しました。光学の理論についてフックをはじめ多くの科学者から批判されたためか、ニュートンは万有引力の法則を長らく秘していたので、フックの主張は無理からぬことともいえます。
ハレーが仲裁に入り、ニュートンが当時まとめていた『プリンキピア』にフックなどへの謝辞を記すことで、2人の関係はいったんは落ち着きました。しかし、その後もフックがくり返し先権を主張したため、内向的といわれつつもときには強い怒りを爆発させたことで知られるニュートンは激怒し、フックへの謝辞を削ってしまいました。最終的にニュートンはハレーになだめられ、『プリンキピア』にフック(と他の2人)の貢献をごく短く事務的に記述しました。
ともあれ、ニュートンが同時代の誰よりも先を進んでいたことは確かです。とりわけ、万有引力という言葉の「万有」、すなわちユニバーサル(=普遍性)を重視したのはおそらくニュートンだけでした。彼はしばしば「天上と地上を統一した」といわれます。つまり、宇宙空間であろうと地球上であろうと、同じ物理法則が支配することを示したのです。
さらに重要なのは、太陽や地球などの天体のみが他の天体や物体を引きつけるのではなく、あらゆる物質が他の物質に対する引力をもつと見た点です。これはどんなに小さな物体でも例外なく他の物体を引き寄せる、すなわち物質がその本来の性質として重力を備えていることを意味します。
しかし、ニュートン自身は万有引力の法則に完全には満足していませんでした。それは、重力が遠隔力としてしか扱えないためでした。運動法則における力は近接力、すなわち物体を実際に押したり引いたりするなどの行為によって作用する力です。これに対して、ニュートンの重力は接触していない物体どうしに作用する力だったのです。
重力をまったく別の姿へと変貌させ、近接作用として説明したのは、20世紀の物理学の巨人アインシュタインでした。【後編へ】
■脚注
※1…エギゾチックな天体:白色矮星、中性子星、ブラックホールなど、通常の星とは異なる性質の天体を指す。いずれも非常に密度が高く、強い重力のために天体内部では原子が“壊れた状態”にある。それぞれの天体の密度は角砂糖1個分でいうと白色矮星は1トン、中性子星は1億~10億トンとされ、ブラックホールでは理論上は密度無限大の点(特異点)が中心部に存在するとされる。特異点ではいっさいの物理法則が成立しない。
※2…『A Treatise of the System of the World(世界体系についての論説)』:ニュートンの著書『プリンキピア』第2部の手稿(1685年)の英語翻訳版(原文はラテン語)。実際の『プリンキピア』出版時にはこの部分は内容を改変したうえで第3部となった。
Source
- Michael Fowler - Fowler's Physics Applets
- Creating My Cambridge - Isaac Newton: Newton's Scientific Discoveries
文/新海裕美子 編集/sorae編集部