
重力がとても強い天体「ブラックホール」の内部は、外側とは異なる時空構造をしていると考えられています。このため、ブラックホールの外側の宇宙で組み立てられた現在の物理学の理論が、ブラックホールの内部でも使えるかどうか、その範囲ははっきりとしていません。
米子工業高等専門学校の姉川尊徳氏と日本大学の玉岡幸太郎氏の研究チームは、ブラックホールの内部での「情報(量子情報)」がどのようになっているのかについて、「ホログラフィック原理(ホログラフィー原理)」という考えを適用し、理論的な探求を行いました。
その結果、ブラックホールの内部は究極にもつれた情報の集まり「絶対最大量子もつれ状態(AME状態; Absolutely Maximally Entangled States)」であるという結果を導きました。
今回の研究結果は、ブラックホール内部の量子力学的な性質について、ブラックホールの研究でよく使われているモデルで使うことができる性質があることを示したという点でインパクトがあります。しかしこのリード文からも分かる通り、この研究にはなじみの薄い物理学の概念が頻出します。
このため本記事では、最初の章で重要な用語を振り返り、その後になるべくレベルを落とした研究内容の解説を行います。
本題に入る前の各種用語解説
用語1: 情報

今回の解説で最も重要なのは「情報」という単語です。物理学で使われる「情報」は、日常的に使われる「情報」とは異なる意味を持ちます。
例えば1個のリンゴには、「形」「色」「位置」「質量」「温度」などの様々な情報があります。これらの情報は、例えば「リンゴ→細胞→分子→原子→素粒子」などのように細かく見ていくことで、それ以上は細かくできないところまでたどり着きます。
こうした様々なモノが持つ情報は、量子力学で取り扱う量子状態を記したものであるため「量子情報」とも呼ばれますが、物理学の文脈では省略されて単に情報と呼ばれることが多いです。以下、この記事では、情報といえば量子情報を指すものとします。
重要な性質として、物理学における情報は、内容が変化することはあっても、失われることは決してないとされています。情報が失われないという性質から、(少なくとも原理的には)ある時点での情報を元に、過去や未来の様子を知ることができます。これは、過去と未来が因果的につながっているという、物理学の大事な前提と一体的な性質です。
用語2: ブラックホール情報パラドックス
先ほど説明した「情報」の対象には、原則として、日常的な感覚では “モノ” とは言えないような光なども含まれています。しかし、ここに「ブラックホール」が登場するとややこしい状況が発生します。この状況は「ブラックホール情報パラドックス」(ブラックホールの情報喪失問題)と呼ばれています。

多くのモノとは異なり、ブラックホールは「質量」「電荷」「角運動量」の3種類の情報しかないとされています(※1)。情報が3種類しかないという状況は、「どんなモノが重力崩壊してブラックホールになったか」「どんなモノをブラックホールに投げ込んだか」に一切関係しません(情報の数値自体は変化します)。これは「ブラックホール脱毛定理」(ブラックホール無毛定理)と呼ばれています。
※1…位置などの情報は、数学的処理を行うことで任意の数値をゼロにすることができます。ブラックホールに3種類の情報しかないというのは、どのような処理をしてもゼロにできない(ことがある)情報が3種類あるという意味になります。

多くのモノには3種類よりずっと多くの情報が含まれているはずですが、ブラックホールと一体化すると、それらの情報は失われているように見えます。これは「情報は失われることはない」という前提と矛盾します。この矛盾を中心とした議論が、ブラックホール情報パラドックスと呼ばれています。
この問題が指摘された当初は、ブラックホールからは何モノも逃げ出すことができず、因果律が切り離されているという性質から、ブラックホールの内部に投げ込んだモノの情報がどうなったのかは、ブラックホールの外側とは関係ないという “臭い物に蓋をする” ような解決策も提案されていました。

しかし実際には、ブラックホールの表面(事象の地平面)から少しずつ熱放射の形で情報が漏れだし、ブラックホールは少しずつ小さくなっていくという「ホーキング放射」という熱放射の性質が見つかったことで、ややこしい状況が発生しました。
ホーキング放射はブラックホールから発生するため、内容を決定する要素はブラックホールの3種類の情報だけです。しかし、ブラックホールは元々、さらに多くの情報を含んでいるモノでできているはずですが、これらの情報をホーキング放射から復元することは不可能です。熱放射は複雑でランダムである上に、元の情報がたった3種類だけであるため、大元の情報を復元するだけの自由度に欠けているからです。このままでは、ブラックホール内部では情報が失われてしまうこととなってしまい、物理の大事な前提と矛盾してしまいます。
用語3: ホログラフィック原理

しかし、情報に関する研究が進展すると、ブラックホールに投げ込んだモノの情報は、実際には失われていないのではないかとする考えもあります。詳細は割愛しますが、例えば2019年には「アイランド公式」と呼ばれる計算方法が導かれ、エントロピーの計算結果を見る限り、情報はブラックホール内部で失われていないことが数学的に導かれました。
この、情報はブラックホール内部で失われないとする考えによく関係しているのが「ホログラフィック原理」という考えです。よく「私たち3次元空間の宇宙の出来事は、実はその全てが2次元の平面に書き込まれている」とたとえられることがありますが、これはあくまでホログラフィック原理の1つの側面です。そして専門家の間でも、ホログラフィック原理という用語をどこで使うのかという範囲がやや広い状態です。
今回のように、ブラックホールに関連する部分に限定して表現をすると、ホログラフィック原理は「重力がある3次元空間内の物理現象は、その空間の境界にある、重力がない2次元平面内の物理法則によって説明することができる」ことを予言しています。
重力なしで重力法則を説明するというのはいかにも直観に反しますが、実際にそのような事例が見つかっていることから、ホログラフィック原理は重要視されています。例えば、量子力学と重力を統合する過程で発見された対応関係(AdS/CFT対応)は、ホログラフィック原理の成功例として挙げられます。
また、ホログラフィック原理を使えば、少なくともブラックホールの外においては、ブラックホール情報パラドックスは解決できるのではないかという考えもあります。
例えば、ブラックホール内部で情報は失われておらず、ブラックホールの表面に書き込まれているという考え方があります。こうすれば、一見すると複雑でランダムにしか見えないホーキング放射には、実際には情報が含まれていることになり、ブラックホール情報パラドックスの解決に大きな進展が生まれます。
しかし、これまでのホログラフィック原理に関する研究は、ブラックホールの外側の議論が中心であり、非常に重力が強いブラックホールの中でもホログラフィック原理が成立するかどうか、成立するとしてどのような性質を持っているのか、その詳細について明確には判明していませんでした。
ブラックホール内部は究極にもつれている
米子工業高等専門学校の姉川尊徳氏と日本大学の玉岡幸太郎氏の研究チームは、ブラックホールの内部の情報に関して、重力理論の観点から検証を行いました。
今回の検証では、仮想的なブラックホール(永遠反ド・ジッターブラックホール)を用意した上で、「ブラックホールの中でもホログラフィック原理は成り立つ」という立場を取り、その上で、この種の理論研究では重要なものの、仮定として置かれてきた2つの点を検証しました。
1つ目は、ブラックホール内部における量子状態の自由度(ヒルベルト空間の次元)が、ブラックホールの外よりも必ず大きくなることを示すことです。
量子状態の自由度の高さは、後述する性質に関わりがありますが、両氏は、ブラックホールの中では時間次元が空間次元のように振る舞うことから、無限に多くの量子状態が取れることが自然に導かれることを示しました。これはブラックホールを描き出すどの理論モデルにも適用可能な、ブラックホールの普遍的な性質として捉えることができます。
2つ目は、ブラックホールの量子状態が正確にはどのような状況となっているかです。量子状態では、それぞれがどのように繋がっているのか(相関しているのか)という「量子もつれ」の状態を測ることが重要となります。
両氏は、ブラックホール内部の空間断面が持つ情報量(特別な極値断面が持つレニー・エントロピー)を解析し、それが「絶対最大量子もつれ状態」にあることを導きました。つまりこの研究によれば、ブラックホール内部は究極にもつれた量子状態であり、今回と同じ種類のブラックホールモデルに対しては、系の詳細に依らない普遍的な量子情報理論的構造を持つことを意味します。
ここまで説明しましたが、特に2点目はかなり難しい話です。あくまで部分的な正しさであることを前提に、次章ではなるべく難易度を落として、2点目の説明を行います。
絶対最大量子もつれ状態とは何か?

先述の通り、近年の研究では「ブラックホール内部では情報が失われておらず、ホーキング放射で外へと出てくる」可能性が示されています。では、ブラックホール内部では情報はどのような形で存在するのでしょうか? ブラックホールの表面に情報が書き込まれているとしても、それはブラックホール内部の情報が元になっているはずです。この状態について考察したのが今回の研究です。
「ブラックホール内部が究極にもつれた量子状態」というのは、簡単に言えば「ブラックホールを好きなように切って中を見た時、見た目上は意味をなさないほどぐちゃぐちゃに混ざったランダムの情報の塊に見える」ということです。ここでは “見た目上はランダム” という点が重要になります。
ブラックホールから情報が出てくるルートであるホーキング放射には、一見するとブラックホールの3種類の情報しか含まれていないように見えます。これは、残りの情報は完全にランダムと化しており、復元不可能な状態になっていると言い換えることができます。
このホーキング放射の情報は、元を辿ればブラックホール内部の情報によって生まれるはずです。そしてブラックホール内部が究極にもつれた量子状態ならば、それは見た目上はランダムであるため、ホーキング放射に含まれる情報もランダムと化していることを説明できます。
ただし、ランダムに見えるのはあくまで見た目上の問題であることに注意しないといけません。実際にはブラックホール内部の情報は、これ以上ないほどに量子もつれを起こしています。つまり、量子力学の目線でブラックホール内部の情報を見ると、そこにはパッと見では分からない繋がりが存在し、見た目上はランダムでも、真の意味ではランダムではないことになります。ランダムでないということは、少なくとも原理的には情報を復元することができます。
振り返ると、今回の研究は「ブラックホール内部は一見すると情報がランダムと化して見えるが、実際には量子もつれを起こしており、決してランダムではない」という点の証明を試みています。しかし、ブラックホール内部を立体のまま理論で探求しようとしても、重力を考慮した量子力学は未完成であるため、正面突破はとても難しくなります。
そこで、ブラックホール内部を立体のまま扱うのではなく、「切った断面を見る」というアプローチで探求をしています。断面ならば重力を考えずに済み、ホログラフィック原理によって断面だけを見ても立体全体を考察できるからです。今回の研究では、「ブラックホールをどのように切っても、必ず “見た目上ランダムな状態” が出現する」と主張しているわけです。
ブラックホール以外にも影響するかもしれない研究結果
「ブラックホール内部が究極にもつれた量子状態」だというのは、門外漢からするとよく分からない複雑な状況ですが、一方で研究者からすれば助かる性質となります。ブラックホールの研究で使われるブラックホールの理論モデルは複数ありますが、今回の研究結果は、その中でよく使われているモデルに使えるからです。
この普遍性は、基礎研究を進めるうえで大きなプラスとなります。今回の研究結果は、ブラックホール情報パラドックスの解決に向けた重要な1歩であることは間違いないでしょう。
また、今回の研究の基礎的な部分は、宇宙全体を描き出す理論にも影響を及ぼすかもしれません。私たちの宇宙は、イコールとまでは言えないものの、少なくとも部分的にはブラックホールと似たような性質があることがわかっているからです。
そして、ブラックホールや宇宙全体を理解するには、量子力学と重力理論の統合が必要ですが、今回の研究アプローチは、理論の統合への重要な一歩となる可能性も秘めています。その統合の過程では、ブラックホールの重大な問題の1つであり、現代物理学の破綻点とも評される「特異点」を理論的に描写することにも繋がるかもしれません。
ひとことコメント
この解説記事で紹介した研究は確かに難しいけれども、少しでも理解してもらえたら嬉しいな!(筆者)
文/彩恵りり 編集/sorae編集部
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参考文献・出典
- Takanori Anegawa & Kotaro Tamaoka. “Holographic Absolutely Maximally Entangled States in Black Hole Interiors”.(Physical Review Letters)
- 日本大学文理学部庶務課. “【日本大学】ブラックホールの中は究極にもつれた情報の集まり-ブラックホール内部を記述する量子状態を理論的に発見-”.(大学プレスセンター)
























