合成困難な “スーパーアルコール” 「オルト炭酸」を初合成 宇宙の氷に含まれる?

非常に単純な構造を持ちながら、合成が極めて難しい化学分子はいくつもあります。合成困難な分子のうち単純なものは、かなり特殊な環境であれば自然界に存在する可能性がある一方、そのような化学分子はどのような条件でも合成不可能だという指摘もあります。

ハワイ大学マノア校のJoshua H. Marks氏などの研究チームは、単純な構造を持ちながら合成不可能だと思われていた、 “スーパーアルコール” の愛称を持つ「オルト炭酸(メタンテトラオール / C(OH)4)」を初めて合成したと報告しました。ほぼ宇宙を再現したような環境で合成されたため、オルト炭酸は宇宙の氷の中に存在する可能性があります

分子は「単純だったら合成できる」とは限らない

化学者の長年の研究により、私たちは様々な化学分子を合成しています。しかし、非常に単純な構造を持ちつつも、極めて特殊な条件でのみ安定して存在するものや、未だに合成されたことがない分子も多数存在します。

例えば「炭酸」は、身近な飲料として存在するように、水溶液中ならば安定して存在する分子です。しかし水溶液から取り出そうとすると、周辺に水分子が1個でも存在すれば、水と二酸化炭素に分解してしまう不安定な存在となります。このため純粋な炭酸を取り出すには、宇宙空間に匹敵する極めて特殊な環境を整えなければなりません。

とはいえ、炭酸は特定条件下では安定して存在する分子という点で、いくぶんかマシです。分子の中には、合成そのものが極めて困難と予想されているものもあります。そういった分子は、基本的な部分が共通している派生した形の分子(誘導体)は簡単に合成できるのに、余計な部分を削ぎ落した単純な形の分子の方が合成できない、というようなものもあります。

 “スーパーアルコール” 「オルト炭酸」は合成不可能?

図1: “スーパーアルコール” こと「オルト炭酸」は、構造こそかなり単純ですが、不安定であり合成が困難、もしくは不可能だと考えられてきた分子です。(Credit: Benjah-bmm27(分子模型) / 彩恵りり(全体の構成))
【▲ 図1: “スーパーアルコール” こと「オルト炭酸」は、構造こそかなり単純ですが、不安定であり合成が困難、もしくは不可能だと考えられてきた分子です。(Credit: Benjah-bmm27(分子模型) / 彩恵りり(全体の構成))】

今回の解説記事の主役である「オルト炭酸(メタンテトラオール)」も、合成が極めて困難であると見なされてきた分子です。オルト炭酸は4つの水酸基を持つ炭素化合物であり、定義上最小の4価アルコールであることから、 “スーパーアルコール” という愛称を持ちます。

オルト炭酸テトラエチルなど、オルト炭酸を骨格に持つ分子は市販されているほど簡単に合成できます。ではなぜオルト炭酸は合成されていないのでしょうか?

炭素を中心として4つの酸素原子が結合しているオルト炭酸の正四面体構造(CO4)は安定しています。これが、オルト炭酸を骨格に持つ分子が実在する理由となっています。しかし、オルト炭酸の末端部である水酸基(OH)は不安定であり、他の分子と反応して安定化しようとします。これがオルト炭酸の不安定化に繋がります。また、想定されるオルト炭酸の合成ルートは、途中で不安定な状態を挟むという困難もありました(※1)

※1…炭酸に含まれる炭素と酸素の二重結合(カルボニル基)は、2本の炭素と酸素の単結合よりも結合エネルギーが高いという性質があり、脱水してカルボニル基になりやすいという性質があります。

このためオルト炭酸は、地球より大きな惑星の内部にあるような高温高圧環境であれば存在するものの、実験室で実現可能な通常の環境では合成不可能なのではないかとする予想もありました。 “合成不可能” という表現はやや大げさにも聞こえますが、そう言われるだけの理由があったことになります。

合成不可能と思われたオルト炭酸を初めて合成!

図2: 今回の合成実験で使われた上海・ハワイ・合肥先端研究センターのビームライン。(Credit: National Synchrotron Radiation Laboratory )
【▲ 図2: 今回の合成実験で使われた上海・ハワイ・合肥先端研究センターのビームライン。(Credit: National Synchrotron Radiation Laboratory )】

ハワイ大学マノア校のJoshua H. Marks氏などの研究チームは、そのような課題が山積しているオルト炭酸の合成を試みました。

今回の合成実験では、高純度の水と二酸化炭素からなる氷を、-263℃(10K)以下の極低温と10兆分の1気圧以下の高真空下に置き、ほとんどX線と言えるほどの強力な紫外線を照射しました(※2)。この実験のセットアップには、上海・ハワイ・合肥先端研究センターのビームラインが使用されました。この実験環境は、ほぼ宇宙空間を再現していると言えます。実際この研究は、単純にオルト炭酸の合成を試みるだけでなく、宇宙空間でオルト炭酸が生じる可能性も検証しています。

※2…厳密には、光を直接生成して照射したのではなく、高エネルギーの電子線から間接的に生じる光(シンクロトロン放射)を使っています。

図3: 水と二酸化炭素からオルト炭酸が合成される反応は、簡略化するとこうなりますが、実際には図4で示す通り極めて複雑な反応を経由しています。(Credit: Jynto & Benjah-bmm27(分子模型) / 彩恵りり(全体の構成))
【▲ 図3: 水と二酸化炭素からオルト炭酸が合成される反応は、簡略化するとこうなりますが、実際には図4で示す通り極めて複雑な反応を経由しています。(Credit: Jynto & Benjah-bmm27(分子模型) / 彩恵りり(全体の構成))】
図4: 今回の合成実験結果を踏まえた、オルト炭酸の推定反応経路。この反応ではオルトギ酸も合成されています。(Credit: 彩恵りり)
【▲ 図4: 今回の合成実験結果を踏まえた、オルト炭酸の推定反応経路。この反応ではオルトギ酸も合成されています。(Credit: 彩恵りり)】

Marks氏らは今回の実験を通じて、オルト炭酸が合成されたことを報告しました。これはスペクトルによる直接的な検出に加え、合成に必要なエネルギーを下回る光の照射では生成されないこと、昇華温度が予想の範囲内にあることが根拠とされました。

興味深いことに、今回の実験ではオルト炭酸に加えて、オルト炭酸より水酸基が1つ少ない「オルトギ酸(オルト蟻酸 / メタントリオール / HC(OH)3)」も確認されました。オルトギ酸は、オルト炭酸と同じく非常に不安定で合成困難な分子であり、今回の研究と同じくMarks氏らの研究チームが、2024年に世界で初めて合成した分子です。ただし今回の場合、前回の合成報告とは異なる原料で合成しており(※3)、前回より実際の宇宙空間に近い環境でオルトギ酸を合成できたという点も重要な発見です。

※3…2024年の合成報告では、シンクロトロン放射を使った点は同じであるものの、使用された原料物質はメタノールと酸素でした。

なお、今回の実験では、オルト炭酸よりもオルトギ酸の方が数十倍も多く生成されました。この生成量の差は、今回の実験で予想される化学反応の経路と矛盾しない結果です。

オルト炭酸は宇宙に豊富に存在するかも?

図5: 今回の実験結果を踏まえると、彗星などの宇宙の氷にはオルト炭酸が含まれている可能性があります。(Credit: NASA, ESA & G. Bacon)
【▲ 図5: 今回の実験結果を踏まえると、彗星などの宇宙の氷にはオルト炭酸が含まれている可能性があります。(Credit: NASA, ESA & G. Bacon)】

先述した通り、このオルト炭酸の合成実験は、宇宙空間を模した環境で行われています。実験で使用された水や二酸化炭素は、分子雲や彗星など、宇宙に普遍的に存在する物質です。そして地上では不安定な炭酸も、宇宙には存在する証拠も見つかっています。このことから、水と二酸化炭素が原料となって、炭酸を経由してオルト炭酸が合成される反応経路は、宇宙空間でも自然に発生している可能性があります。

実験結果からすると、オルト炭酸が生じるにはある程度強いエネルギーが必要となります。このようなエネルギーは、低密度な分子雲や惑星系誕生の現場では生じにくいと考えられます。一方で惑星系が形成された後ならば、彗星などの表面にある氷に宇宙線が衝突することにより、今回と同じような環境が生成されると考えられます。

今回の実験からは、宇宙の氷にはオルト炭酸やオルトギ酸のような不安定な分子が、これまでの予想よりさらに豊富に含まれているかもしれない、ということが示唆されます。オルト炭酸の骨格そのものは安定であるため、宇宙ではオルト炭酸から派生した複雑な分子が生じている可能性があります。

今回の研究結果は、今まで見逃されてきた宇宙空間での化学反応に光を当てるかもしれません。特に、オルト炭酸などは複雑な有機化合物の骨格となるため、有機化合物の塊である生命との関わりも否定しきれないことになります。

ひとことコメント

このアルコールで酔うことはできないけど、 “酔いしれる” にふさわしい合成報告と言えるよ!(筆者)

 

文/彩恵りり 編集/sorae編集部

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参考文献・出典