NASAが火星ヘリ「Ingenuity」最終飛行時に起きたアクシデントの調査を完了 史上初“地球外航空事故”調査

アメリカ航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所(JPL)は2024年12月11日付で、ミッションを終えた火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」の最後の飛行で起きたアクシデントの詳細な調査が完了したと発表しました。いわば“史上初の地球外航空事故”となったIngenuityのアクシデントは、どのようにして引き起こされたのでしょうか。

Ingenuityとは

アメリカ航空宇宙局(NASA)の火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」。火星探査車「Perseverance(パーシビアランス)」のカメラ「Mastcam-Z」で2023年8月2日に撮影(Credit: NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS)
【▲ アメリカ航空宇宙局(NASA)の火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」。火星探査車「Perseverance(パーシビアランス)」のカメラ「Mastcam-Z」で2023年8月2日に撮影(Credit: NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS)】

Ingenuityは日本時間2021年2月19日朝に着陸したNASAの火星探査車「Perseverance(パーシビアランス)」の下部に搭載される形で、火星のジェゼロ・クレーターへと運ばれました。

火星の環境は地球とは異なり、地表の重力は地球の約3分の1、地表の気圧は地球の約1パーセントしかありません。大気が薄い火星でも動力飛行できることを実証するのがIngenuityの使命であり、当初は30日間で最大5回の飛行が計画されていました。機体は高さ49cm、重量1.8kgと小型・軽量で、幅1.2mのカーボンファイバー製ローター(二重反転式)と太陽電池を搭載。2021年4月19日に実施された初飛行で、Ingenuityは高度3m・30秒間のホバリングを含む39.1秒間の飛行に成功し、火星における航空機の制御された動力飛行が可能であることを初めて証明しました。

【▲ 火星探査車「Perseverance」のカメラ「Mastcam-Z」で撮影された火星ヘリコプター「Ingenuity」初飛行の様子】
(Credit: NASA/JPL-Caltech/ASU/MSSS)

この1分に満たない初飛行はIngenuityの旅の始まりに過ぎませんでした。3日後の2021年4月22日に実施された2回目の飛行で初めて水平方向の移動に成功したIngenuityは、「ライト兄弟飛行場(Wright Brothers Field)」と名付けられた離着陸地点を拠点に4回の飛行を重ねた後、5回目の飛行(2021年5月7日)では129m離れた場所に設定された新たな離発着地点へ移動することに成功。ミッションは技術実証から運用実証へと進み、IngenuityはPerseveranceの探査活動に役立てるための画像撮影を実際に行うようになりました。

火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」が2021年5月22日に実施された6回目の飛行中に高度10mから撮影した画像(Credit: NASA/JPL-Caltech)
【▲ 火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」が2021年5月22日に実施された6回目の飛行中に高度10mから撮影した画像(Credit: NASA/JPL-Caltech)】

NASAのジェット推進研究所(JPL)によると、Ingenuityは2024年1月18日までに合計72回の飛行を達成しました。総飛行時間は約128.8分、総飛行距離は約17kmで、最高速度は毎秒10m(毎時36km)、最高高度は24mを記録。Ingenuityはその間に危険な地形でも自律的に着陸場所を選べるようにするためのソフトウェアアップデートを受けた他に、バッテリーの電力が不足して夜の間ヒーターをオンにし続けられないためにフライトコンピューターが定期的にフリーズしリセットしてしまうような厳しい冬を乗り越え、3回の緊急着陸も経験しました。

72回目の飛行で何が起きたのか?

火星探査車「Perseverance(パーシビアランス)」が2024年2月24日に撮影した火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」。画像右端に写っているのがIngenuityで、画像左端(Ingenuityから15m離れた場所)には72回目の飛行で損傷したローターブレードの一部が写っている(Credit: NASA/JPL-Caltech/LANL/CNES/CNRS)
【▲ 火星探査車「Perseverance(パーシビアランス)」が2024年2月24日に撮影した火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」。画像右端に写っているのがIngenuityで、画像左端(Ingenuityから15m離れた場所)には72回目の飛行で損傷したローターブレードの一部が写っている(Credit: NASA/JPL-Caltech/LANL/CNES/CNRS)】

Ingenuityは71回目の飛行(2024年1月6日)で約125秒間飛行する予定でしたが、実際には離陸から35秒後に緊急着陸しています。そのため、システムをチェックするための短時間の飛行として72回目の飛行(2024年1月18日)が計画されました。

この時、Ingenuityは高度12mまで正常に垂直上昇したものの、降下中に地球との通信を中継しているPerseveranceとの通信が途絶。通信は翌日に再確立されたものの、Ingenuityのカメラで撮影された画像は少なくともローターブレードの1つが損傷したことを示していたことから、Ingenuityはミッションを終えることになったのです。

JPLと、NASAに協力したアメリカの防衛関連企業AeroVironment(エアロバイロンメント)による調査の結果、Ingenuityのナビゲーションシステムが正確な情報を提供できなかったことがブレード損傷の原因となった可能性が最も高いと結論付けられました。

Ingenuityには機体の加速度と回転速度を測定する慣性計測装置(Inertial Measurement Unit: IMU)が搭載されていて、そのデータから推定される位置・速度・姿勢をもとに飛行制御システムが機体をコントロールします。たとえば「出発地点から北へ向かって毎秒2mの平均速度で5秒間移動した」ことがわかれば、現在地点は出発地点から北へ10m進んだ場所だと推定することができます。ただ、計測で得られたデータにはある程度の誤差が生じるため、IMUのデータから推定された値と実際の値との差は時間が経つにつれて拡大してしまいます。

そこで、Ingenuityにはカメラを備えたナビゲーションシステムも搭載されていました。ナビゲーション用のカメラは飛行中に地表のモノクロ画像を毎秒30枚撮影します。ナビゲーションシステムは画像に写っている岩や砂紋といった地表の特徴を認識し、機体の移動や姿勢変更にともなう予測位置と実際の位置の差を割り出すことで、IMUのデータをもとに算出された推定値を補正するという仕組みです。

【▲ NASAの小型ヘリコプター「Ingenuity」が2022年4月8日に実施された24回目の飛行中にナビゲーション用カメラで撮影した火星表面(動画)】
(Credit: NASA/JPL-Caltech)

しかし、ナビゲーションシステムには限界がありました。地表に目立つ特徴が少ない場所では正確な情報を得ることが難しくなるのです。前述の通りIngenuityのミッションは30日間で5回飛行する計画でしたが、運用実証へと進んだミッションは3年近くも続きました。その間にIngenuityはPerseveranceとともにクレーター内を移動しており、2024年1月の時点では比較的特徴が少ない傾斜した砂地に来ていたのです。

JPLによると、72回目の飛行で高度12mまで上昇したIngenuityは離陸から19秒後に降下を開始し、32秒後に地表へ到達しました。しかし、飛行中に送信されたデータは離陸から約20秒後の時点でナビゲーションシステムが十分な特徴を見つけられなかったことを示しており、飛行後に撮影された画像は着陸時の水平方向の速度が高かったことを示しているといいます。

こうした情報をもとに、JPLはIngenuityの72回目の飛行で起きたアクシデントについて、最も可能性が高いシナリオとして以下の内容を示しています。ナビゲーションシステムからの正確な情報を得られなかったIngenuityは強い衝撃を伴って砂地に着陸し、機体には縦揺れと横揺れが生じます。揺れによる急激な姿勢の変化は高速で回転していたローターブレードに設計上の限界を超える負荷をかけることになり、4枚のブレード全てが最も弱い部分(先端から3分の1程度)で折損。回転中のブレードが損傷したことで過剰な振動が引き起こされ、ブレードの1枚が根元から引きちぎられるとともに、過剰な電力需要が生じて一時的に通信が途絶えたとみられています。

火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」72回目の飛行時に起きた可能性が最も高いシナリオを解説した図(英語)。(1)ナビゲーションシステムから正確な情報を得られないまま降下したIngenuityは、(2)砂地に激しく接地したため機体に縦揺れと横揺れが生じる。(3)揺れによる負荷で4枚全てのローターブレードが途中から折損し、(4)ブレード損傷にともなう振動で1枚のブレードが根元から引きちぎられる(Credit: NASA/JPL-Caltech)
【▲ 火星ヘリコプター「Ingenuity(インジェニュイティ)」72回目の飛行時に起きた可能性が最も高いシナリオを解説した図(英語)。(1)ナビゲーションシステムから正確な情報を得られないまま降下したIngenuityは、(2)砂地に激しく接地したため機体に縦揺れと横揺れが生じる。(3)揺れによる負荷で4枚全てのローターブレードが途中から折損し、(4)ブレード損傷にともなう振動で1枚のブレードが根元から引きちぎられる(Credit: NASA/JPL-Caltech)】

実はまだ眠ってはいないIngenuity 今も週1ペースでデータを送信中

火星での動力飛行を実証するというミッションを終えたIngenuityですが、ローターブレードは損傷したもののシステムはまだ機能しており、JPLによれば天気のデータや電子機器のテストデータを1週間に1回程度のペースでPerseveranceに送信しているといいます。

火星の“1年”は地球の2年に近い687日間。3年以上の時間を火星で過ごしているIngenuityは、すでに一度冬を越しています。Ingenuityのプロジェクトマネージャーを務めるTeddy Tzanetosさんは「コストを抑えつつも膨大な計算能力を求められたIngenuityは、市販されている既製品の携帯電話用プロセッサーを深宇宙に送り込む初のミッションになりました」「継続的な運用が4年に迫りつつある現在、過酷な火星の環境で機能させるためのものを大きく、重く、放射線により耐えられるようにする必要があるとは限らないことを示しています」とコメントしています。

火星探査用の回転翼機「Mars Chopper(マーズ・チョッパー)」のコンセプト(Credit: NASA/JPL-Caltech)
【▲ 火星探査用の回転翼機「Mars Chopper(マーズ・チョッパー)」のコンセプト(Credit: NASA/JPL-Caltech)】

【▲ 火星探査用の回転翼機「Mars Chopper(マーズ・チョッパー)」のコンセプト(動画)】
(Credit: NASA/JPL-Caltech)

その一方で、Ingenuityの先を見据えた研究も進められており、TzanetosさんはSUVほどの大きさがある火星探査用の回転翼機「Mars Chopper(マーズ・チョッパー)」を提案しています。Mars Chopperは6枚のブレードを備えたローターを6基搭載し、重量はIngenuityの20倍ほど。最大5kgの科学機器を搭載して1ソル(※)あたり最大3kmの飛行が可能とされています。

※…1ソル(Sol)は火星の1太陽日、約24時間40分。

また、土星の衛星タイタンを探査する「Dragonfly(ドラゴンフライ)」ミッション(2028年7月打ち上げ予定)では、8基のローターを備えた回転翼機型の探査機がタイタンの空を飛んで移動する計画です。十分な重力がある天体の表面では車輪で移動する方法を選べるようになったのと同じように、今後の宇宙探査では十分な大気を持つ天体での移動方法として飛行を選ぶ探査機が増えていくはず。その先例であるIngenuityは、最後の飛行で起きたアクシデントも含めて重要な知見をもたらしたミッションとなりました。

 

Source

  • NASA/JPL - NASA Performs First Aircraft Accident Investigation on Another World

文・編集/sorae編集部

#火星ヘリコプター #インジェニュイティ #Ingenuity #NASA