中国の月探査機「嫦娥三号」が月に到着してから半年が経った。探査車(ローバー)の玉兎号はすでに車輪が動かず、保温のために太陽電池パドルを折り畳むこともできない状態だが、運用は続けられており、自身の状態や月の探査結果などのデータを送り続けている。
嫦娥三号は昨年の12月2日、長征三号乙ロケットに載せられ、四川省にある西昌衛星発射センターから打ち上げられた。9日に月を周回する軌道に投入、そして14日に月の「雨の海」と呼ばれる地域に着陸した。
嫦娥一号、二号に続く、中国にとって3機目となる月探査機として送り込まれた嫦娥三号は、ソ連のルナ24以来37年ぶりに月に着陸した探査機となった。さらに月にローバーが送り込まれたこととなると、同じくソ連のルノホート2以来、実に40年ぶりとなる。
嫦娥三号は、着陸地点に留まって科学観測を行う着陸機(ランダー)と、その着陸機から発進し、月面を走り回って探査する探査車(ローバー)の2つから構成されている。
着陸機は質量1,200kgほどで、月面をいくつかの波長で撮影できるカメラが搭載されており、月面天文台とも呼ばれる。
玉兎号は質量140kgほどの機体で、カメラによる光学観測や、レーダーを使った月の内部構造の調査、またアルファ粒子X線分光計や赤外線分光計を用いた土壌の調査などを実施。設計寿命は約3ヶ月、走行可能距離は3平方kmの想定で造られている。「玉兎」という名前は、中国に伝わる「月には不老不死になるための仙薬を作るウサギが棲んでいる」という伝承に由来する。日本では「お餅をつくウサギ」として親しまれているが、どちらもインドの『ジャータカ』という古い物語が発祥であるとされる。
玉兎号は着陸の約7時間後に着陸機から発進、走行や機器の試験を行い、本格的な探査活動に入った。
12月26日には、月に夜が訪れるのに伴い、着陸機と玉兎号は共に休眠状態に入った。月はおおよそ2週間ごとに昼と夜が訪れ、昼の温度は120度、夜は-180度にもなる。そのため月面の探査機とってはこの夜を越える技術(越夜技術)が必要となる。玉兎号の場合、夜を越える際には太陽電池の一つを太陽が昇る方向へ向け、またもう一つの太陽電池は蓋のように折り畳まれ、内蔵しているヒーターで温め続けられる仕組みになっている。
約2週間後、着陸機と玉兎号は起床し、探査を再開した。しかし2度目の月の夜を迎える直前の1月25日、玉兎号の太陽電池パドルやマストを折り畳むための制御回路が故障、越夜に備えた体制になれないまま、月の夜を迎えることになる。その状態では夜を乗り切れる保証はない。一時、復帰は絶望的とさえ言われていたが、2月12日の午後に玉兎号は再び起床。故障を抱えたままではあったが、観測機器は動くため、探査は再開された。
そして2月22日、3度目の眠りに突入。再び復帰が危ぶまれたが、3月14日に無事目覚め探査を再開した。その後も月に夜が訪れる度に眠りに就き、日が昇れば起床する運用を続けており、依然として故障を抱えたままではあるものの、自身の状態や月の探査結果などのデータを地球に送り続けている。一方着陸機は問題なく生きながらえており、設計寿命の1年を目指し、今後も運用が続けられる。玉兎号と地球との通信も、着陸機を経由して行われている。
玉兎号の設計寿命は3ヶ月で造られており、やや不完全ではあるものの、玉兎号のミッションは成功したと言えよう。だが同時に、設計寿命を超えたということは、故障している制御回路以外にも、今後不具合が発生する可能性がある。運用を担当している関係者は、完全に通信ができなくなるまで運用を続けると表明している。
中国は嫦娥三号の運用を通じ、月面での活動に必要な技術を会得しつつある。
また、2010年に打ち上げられ、月を周回して探査した嫦娥二号は、探査終了後に月軌道を離れ太陽と地球間のラグランジュ2点に移動し、宇宙を航行する技術と、150万km離れた探査機との通信技術を実証。さらにその後、L2点を出発して小惑星トータティスに接近、探査を行うという芸当を見せつけた。
中国は今後、2016年に嫦娥三号を改良した嫦娥四号を打ち上げ、再び着陸機とローバーによる月面探査に挑む。さらに2017年と19年には、嫦娥五号と六号で月の石を持ち帰るサンプル・リターンを、さらに有人の月探査を行う計画も持っている。嫦娥三号の成功により、こうした将来ミッションへの道が拓きつつある。
■嫦娥三号专题报道
http://202.106.152.122:8089/n81117/n93852/index.html