1994年2月に行われた、スペースシャトル・ディスカバリーによるSTS-60ミッションから20年を迎えた。

STS-60はシャトル・ミール計画の一環として行われたミッションである。シャトル・ミール計画は米国とロシアが共同で行った有人宇宙計画で、ロシアの宇宙飛行士が米国のスペースシャトルで、また米国の宇宙飛行士がロシアのソユーズ宇宙船でロシアのミール宇宙ステーションを訪れ、長期間の宇宙滞在の経験を得ることを目的としていた。

ことの起こりは1992年6月17日、米国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領とロシアのボリス・エリツィン大統領との間で、「平和目的のため宇宙の探検と利用の協力に関するアメリカ合衆国とロシア連邦の合意」が結ばれたことにさかのぼる。続いてその年の秋には、米航空宇宙局(NASA)とロシア連邦宇宙局との間で、ロシア人宇宙飛行士をスペースシャトルで飛行させること、ソユーズ宇宙船で米国人宇宙飛行士をミールへ運び、90日以上滞在させること、そしてミールのロシア人宇宙飛行士をスペースシャトルで帰還させることといった合意がなされた。

米国は1984年、西側諸国と共同で宇宙ステーション・フリーダムを建造する計画を立てるも、その後の財政難とスペースシャトル・チャレンジャーの事故、そして何よりも冷戦の終結によって必要の意義が失われつつあり、91年には米国議会で計画中止の決議が出されるほどであった。すでにフリーダムの壮大な完成予想図はどこかに消え、計画の規模を大きく縮小させ、なんとか生きながらえている状態だった。

一方、ソ連の崩壊によってソユーズ宇宙船やミール宇宙ステーションなどの有人宇宙技術を受け継いだロシア連邦もまた、財政難に喘いでいた。1993年9月、米のアル・ゴア副大統領とロシアのヴィクトル・チェルノムイルジン首相は、新しい宇宙ステーション計画を公表し、のちの国際宇宙ステーション(ISS)となった。シャトル・ミール計画はこうした流れの中から生まれた。

そして1994年2月3日21時19分ちょうど(日本時間、以下同)、米国フロリダ州ケネディ宇宙センターからスペースシャトル・ディスカバリーが打ち上げられた。コマンダーは現在のNASA長官でもあるチャールズ・ボウルデン宇宙飛行士が務め、パイロットのケネス・レイグラー・ジュニア宇宙飛行士、ミッション・スペシャリストのN・ジャン・デイビス宇宙飛行士、ロナルド・セガ宇宙飛行士、フランクリン・チャン=ディアス宇宙飛行士、そしてロシア人のセルゲイ・クリカリョフ宇宙飛行士が搭乗していた。ロシア人飛行士がスペースシャトルに乗り込むのはこれが初めてであった。

STS-60にはスペースハブと呼ばれるモジュールが積み込まれ、中で実験が行われた。スペースハブはこれが2回目の飛行だった。またゲット・アウェイ・スペシャルと呼ばれる、スペースシャトルの重り扱いで搭載されるドラム缶のような実験装置の100回目の飛行でもあった。さらにウェイク・シールド・ファシィティ(WSF)と呼ばれる円盤のような形をした実験機器も搭載された。WSFは軌道上で宇宙空間に放出され、ディスカバリーと並んで飛行し、その後回収された。

ディスカバリーは打ち上げから8日後の12日4時19分22秒にケンディ宇宙センターに帰還、ミッション時間は8日と7時間9分22秒で、地球を130周し、成功をもってミッションを終え、シャトル・ミール計画は幸先の良いスタートを切った。

その後、1995年2月にはSTS-63でスペースシャトルがミールに接近、また3月には、ソユーズTM-21宇宙船に米国人のノーマン・サガード宇宙飛行士が搭乗し、ミールを訪れた。米国の宇宙飛行士がソユーズに乗るのは初めてであった。

そして7月にはSTS-71アトランティスがミールへのドッキングを果たし、先に訪れていたサガード飛行士らが乗り帰還、米露両宇宙飛行士の共同作業がいよいよ本格化。その後も7回のシャトルの飛行が実施され、1998年6月のSTS-91ディスカバリーのミッションをもって終了した。シャトルとミールは計9回ドッキングし、また計画中、前述のドッキング・モジュールや、プリローダと呼ばれる新しい実験モジュールが接続され、ミールは完成した。一方で船内での火災事故やプログレス補給船の衝突事故も起き、幸い死傷者は出なかったものの、安全性やリスクへの考え方を巡って、米露の間には禍根が残った。

このシャトル・ミール計画は、別名フェイズ1とも呼ばれていた。1があるということはフェイズ2もあるのかといえばもちろんあり、それこそが今も地球を回る国際宇宙ステーション(ISS)である。

現在では、シャトル・ミール計画が謳われていたほど有益なものではなく、そればかりか技術的に、またNASA内部の政治的にも、多くの問題を抱えつつ進められていたことが明らかになっている。とはいえ、ISSのように宇宙で大きな建造物を造り、運用すること、何より国際共同でそれを行うことにおいて、シャトル・ミール計画での経験が少なからず役立っていることは間違いないだろう。

 

■History of Shuttle-Mir Home Page
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