火星の衛星「フォボス」と「ダイモス」が過去に1つの衛星だった可能性は低いと判明
【▲ 火星の衛星「フォボス(手前)」と「ダイモス(右奥)」を再現したCG(Credit: Shutterstock)】
【▲ 火星の衛星「フォボス(手前)」と「ダイモス(右奥)」を再現したCG(Credit: Shutterstock)】
【▲ 火星の衛星「フォボス(手前)」と「ダイモス(右奥)」を再現したCG(Credit: Shutterstock)】

火星には「フォボス」と「ダイモス」という2つの衛星があります。どちらも直径数十kmと小さく、その不規則な形は “ジャガイモ” にも例えられています。2つのうち内側を公転するフォボスの公転速度は火星の自転速度よりも速く、潮汐力によって徐々に減速し、いつかは火星表面に落下してしまうと推定されています。

このような特徴を持つフォボスとダイモスの起源については、これまでに様々な説が唱えられてきました。最も古くから存在するのは「捕獲説」です。フォボスやダイモスの小ささと、火星のすぐ外側には小惑星帯が存在するという事実から、火星の近くを通過した小惑星が重力で捕獲されて衛星となった、という説です。

この説は最もシンプルですが、大きな謎もあります。フォボスやダイモスの公転軌道はほとんどゆがみのない円で、軌道もほとんど傾いていません。対して、捕獲された小惑星だと推定されている木星や土星の衛星のほとんどは、大きくゆがんで傾いた楕円形の軌道を公転しています。火星を公転する2個の衛星だけが偶然にもキレイな軌道で捕獲される確率はとても低いことに加えて、この場合には軌道をキレイにするメカニズムが必要ですが、それは謎のままです。

【▲ 図2: NASAの火星探査車キュリオシティが撮影した、ダイモスの手前を通過するフォボスのリアルタイム動画。 (Image Credit: NASA/JPL-Caltech/Malin Space Science Systems/Texas A&M Univ) 】
【▲ 図2: NASAの火星探査車キュリオシティが撮影した、ダイモスの手前を通過するフォボスのリアルタイム動画。 (Image Credit: NASA/JPL-Caltech/Malin Space Science Systems/Texas A&M Univ) 】

また、別の説として「巨大衝突説」が提唱されています。地球における月のように、太古の火星に別の天体 (直径500~1000km) が衝突し、飛び散った破片からフォボスやダイモスが形成された、という説です。この場合、捕獲説よりも公転軌道の説明がつきやすいという利点があります。また、フォボスは体積の25~35%が空隙というスカスカな天体ですが、これは小惑星としてはかなり珍しいタイプです。

そしてフォボス表面のスペクトル (電磁波の波長ごとの強さ) を分析した研究によれば、火星表面と多少似ている鉱物で構成されているといいます。このことから、火星の衛星が小惑星という “赤の他人” である可能性は低くなっており、巨大衝突説は近年支持されています。

ただし、巨大衝突説の場合でも、衛星のサイズが小さくなったことや、2つの衛星が力学的に安定する位置に配置されていないこと、多少似ているとはいえ、それでも火星とは異なる組成を持つという謎を解決しなければなりません。

【▲ 図3: 火星を公転する天然の衛星と人工衛星。Phobos=フォボス、Deimos=ダイモス、MO=マーズ・オデッセイ、MRO=マーズ・リコネッサンス・オービター、Mars Express=マーズ・エクスプレス (Image Credit: ESA/DLR/FU Berlin (G. Neukum) ) 】
【▲ 図3: 火星を公転する天然の衛星と人工衛星。Phobos=フォボス、Deimos=ダイモス、MO=マーズ・オデッセイ、MRO=マーズ・リコネッサンス・オービター、Mars Express=マーズ・エクスプレス (Image Credit: ESA/DLR/FU Berlin (G. Neukum) ) 】

さらに、2020年にはSETI研究所のMatija Ćuk氏らが、「環-衛星リサイクル説」を検証した研究成果を発表しています。Ćuk氏によれば、何十億年もそのままで存在したのは、外側を公転するダイモスだけであり、内側を公転するフォボスは “破壊と再生” を繰り返してきたと言います。衛星は潮汐力によって破壊され、破片で構成された環となります。破片はやがて集合し小さな衛星となりますが、時間が経つと再び破壊される、というサイクルを繰り返します。

環-衛星リサイクル説の場合、フォボスは形成されてからまだ2億年程度しか経っていない新しい衛星であり、上記のサイクルの最新の世代である、ということになります。前述のように、フォボスはいずれ火星に接近して崩壊する運命にありますが、何世代も前から崩壊と再生を繰り返してきたとすれば、このような長期的に不安定な軌道を公転していることも説明できるというわけです。

関連:火星の過去と未来の環。衛星は崩壊と再生を繰り返している?

一方、2021年にスイス連邦工科大学のAmirhossein Bagheri氏らは、これらとは異なる「衛星分裂説」を提唱しました。

この説では、火星の形成と共に大きな1個の衛星が形成されたと仮定されています。その後、この衛星は潮汐力や天体衝突など、何らかの理由で分裂したと考えられています。フォボスとダイモスは、その時に生じた大きな2つの破片を起源としている、というのです。分裂は今から27億年以内に発生したとみられており、フォボスとダイモス以外の小さな破片はほとんど発生しなかったため、現在のような2個の衛星系になったと推測されています。

この説が提唱されたのは、フォボスとダイモスの長期的な軌道変化を分析した結果です。2つの衛星の軌道変化をさかのぼっていくと、過去のある時点で軌道が交差していた可能性があり、元々は1つの天体から分裂したものであると解釈することもできます。また、フォボスの軌道は火星が誕生してから46億年というタイムスケールでは不安定であり、最初から火星と共に誕生した可能性が低いということも理由に挙げられます。

しかしながら今回、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の兵頭龍樹氏らの研究チームは、衛星分裂説を検証した結果、この説に異を唱える結果を導き出しました。この研究では、衛星分裂説の前提の1つである「フォボスとダイモスの軌道は過去に交差していた」という点が検証されました。

そもそも、公転軌道が過去に交差していたという前提は、パラメーターを変更すると成り立たないものです。そこで兵頭氏らは、過去に1つの天体であったという前提の下で、分裂後の軌道がどのように変化するのかをいろいろな公転半径でシミュレートしました。これは3体問題と呼ばれる、簡単には解けない力学的問題として知られています。

【▲ 図4: 様々な軌道を仮定しての、フォボスとダイモスの衝突確率のシミュレーション結果。フォボスとダイモスは1万年以内で90%という高確率で衝突することが分かりました。 (Image Credit: Hyodo, et.al.) 】
【▲ 図4: 様々な軌道を仮定しての、フォボスとダイモスの衝突確率のシミュレーション結果。フォボスとダイモスは1万年以内で90%という高確率で衝突することが分かりました。 (Image Credit: Hyodo, et.al.) 】

その結果、分裂で生成したフォボスとダイモスは1万年以内に90%という高確率で衝突することが分かりました。これは数十億年後の現在、2つの衛星が離れた軌道にあることと矛盾します。衝突時の相対速度は100~300m/sで、これはフォボスとダイモスの脱出速度の10~30倍です。したがってこの衝突は、フォボスとダイモスを粉砕してしまうだろうと予想されます。結果として残るのは、今日のような2個の「ジャガイモ衛星」ではなく、非常に薄い環であろうと予想されます。仮に破片が集合して小さな衛星になったとしても、それは今日の2個の衛星系とは大きく異なる軌道になるであろうとも推定されています。

今回の研究結果は、衛星分裂説に大きく異を唱える結果となりました。この結果が正しいかどうかは後の検証が待たれますが、いずれにしてもフォボスとダイモスの起源は未知のままであるという評価となる可能性が高いと思われます。

現在、アメリカ、日本、ロシアなどがフォボスやダイモスのサンプルリターン計画を進めています。フォボスやダイモスの直接探査が実現すれば、長年の議論に終止符が打たれるかもしれません。

 

Source

文/彩恵りり

Last Updated on 2022/09/14