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極超音速実験機X-15や、リフティングボディ実験機のHL-10やM2-F3を駆ったテスト(リサーチ)・パイロットのウィリアム・ハーヴェイ・”ビル”・デイナ氏が6日、亡くなった。83歳だった。

デイナ氏は1930年11月3日に生まれ、米陸軍士官学校を卒業、1952年から米空軍のパイロットを務めた。そして1958年、米航空宇宙局(NASA)の誕生と同じ10月1日に、NASA高速飛行ステーション(現在のアームストロング飛行研究センター)に入る。

彼の最初の仕事の一つは、X-15のシミュレーターの開発であった。X-15はノース・アメリカン社が開発した実験機で、ロケットエンジンを持ち、高々度を極超音速で飛行することができる飛行機だ。合計3機が製造され、合計199回の飛行実験を実施、最大速度は7,274km/h、最大到達高度は108kmにまで達した。

1959年9月、デイナ氏はリサーチ・パイロットに任命され、以来30年間以上に渡り、様々な航空機を操縦することになる。リサーチ・パイロットとは、いわゆるテスト・パイロットのNASAでの呼び名だ。デイナ氏は前述のX-15にも実際に搭乗して飛行を経験している。X-15での飛行回数は16回で、最大速度は6,271km/h、到達高度は93.5kmを記録している。ちなみにこの時、同じNASA所属のリサーチ・パイロットの同僚に、人類で初めて月を歩いたニール・アームストロング氏がいた。

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また平行して、1960年から1962年までの間はX-20ダイナソアの開発にも携わっていた。ダイナソアは米空軍とNASAが開発を進めていた有人のスペースプレーンで、軌道上からの偵察や爆撃、敵の衛星の破壊といったミッションを行う予定だった。彼はパイロットの立場から同機の開発に参加、そして行く行くは実際に搭乗し、宇宙を飛ぶはずであった。しかし1962年にアームストロングと共にプロジェクトから離れ、またX-20自体もその後計画が中止となる。

デイナ氏はその後、HL-10やM2-F3、X-24Bといった実験機に乗り、飛行試験を行った。これらはリフティング・ボディと呼ばれる、胴体そのものが翼のように揚力を発生させることができる飛行機で、X-15の飛行も含め、これらの先進的な飛行機の実験で得られた成果は、その後スペースシャトルの開発で大いに活かされることとなった。

さらにF-14トムキャット、F-15イーグル、F-16ファイティング・ファルコン、YF-17(後のF/A-18ホーネット)、X-29といった機体の試験も務め、パイロット時代中の累計飛行時間は8,000時間にも達した。1986年には同所のチーフ・パイロットに任命される。

1993年にはドライデン飛行研究センター(現在のアームストロング飛行研究センター)のチーフ・エンジニアの任に付き、パイロットから引退する。そして1998年5月の定年まで、同所の研究と安全を見守った。

だが、デイナ氏の経歴はこれで終わらなかった。定年から7ヶ月後、彼は民間企業からの出向という形でドライデンに舞い戻り、過去の研究を評価する研究に従事した。この仕事は無給で、完全なボランティアであったという。

2005年には、X-15での飛行実績を踏まえ、X-15に搭乗した12人のパイロットのうち、デイナ氏を含む8人が、NASAから宇宙飛行士として認定されることとなった。

 

■Pioneering Test Pilot Bill Dana Dies at Age 83 | NASA
http://www.nasa.gov/content/pioneering-test-pilot-bill-dana-dies-at-age-83/#.U3AfFyhA114

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