■反陽子を温度で選別する冷却装置を開発
CERNの国際研究チーム「BASEコラボレーション」は、物質と反物質の性質に違いがあるのかを調べる研究を行っています。BASEとは「バリオン-反バリオン対称性実験(Baryon Antibaryon Symmetry Experiment)」を意味します。
BASEコラボレーションでは、反物質の1つ「反陽子」の性質を測定しています。反陽子は、最も身近な物質(バリオン)である陽子と対の関係にあります。陽子の性質はよく知られているため、反陽子との性質の違いを測定することは比較的容易です。
ただし、反陽子は自然界には存在しないため、エネルギーの高い粒子衝突などで生成する必要があります。このような反陽子は運動エネルギーが大きい、言い換えると高温な反陽子であるため、精度の高い測定ができません。これを改善するには、磁場を使って運動エネルギーを小さくする装置「ペニングトラップ」を使って、反陽子を冷却する必要があります。しかし今までは、冷却にかかる時間が長すぎるために、精密な測定に必要となる実験回数に限界がある、という課題がありました。
BASEコラボレーションは、新たな冷却装置“マクスウェルの悪魔二重冷却トラップ”を作成し、冷却に関する課題を大きく改善しました。ペニングトラップを2つ組み合わせたこの装置は、反陽子の冷却を行う部分と、反陽子の温度を測定する部分とに分かれます。測定部では、反陽子が温度ごとに選別され、より低温の反陽子のみが冷却部に通されます。これにより、冷却部での反陽子の冷却が最適化されます。
今回の新しい装置により、反陽子の冷却は大幅に改善されました。BASEコラボレーションでは反陽子の磁気モーメント(陽子の棒磁石のような性質)を測定項目の1つとして選んでいますが、精密な測定にはほぼ絶対零度(0.0002K)まで反陽子を冷却する必要があります。今までの装置ではこの温度を達成するのに15時間かかっていましたが、新しい装置ではわずか8分と、100分の1以下にまで短縮されました。
■10年かかる測定が1か月でできるように
BASEコラボレーションは、新しい装置により、反陽子の性質をさらに精度よく測定できるようになると期待しています。これまでの測定で、反陽子の磁気モーメントは陽子の磁気モーメントと非常によく一致しており、違いがあったとしても最大でも約10億分の1であることが分かっています。BASEコラボレーションでは、最大約100億分の1の違いが区別できるようになるまで、測定結果を改善することを目標にしています(※3)。
※3…より正確には、磁気モーメントの値を測定するために必要な「スピン遷移」と呼ばれる性質を、従来の1000倍以上の精度で測定することを目指しています。
この程度の差を測定するには、測定実験を約1000回行う必要がありますが、今までの装置ではこの実験を10年も続ける必要があり、事実上不可能でした。BASEコラボレーションは、“マクスウェルの悪魔二重冷却トラップ”を使えば実験期間を約1か月まで短縮できると見込んでいます。
今回の測定装置の開発により、物質と反物質の性質の違いが見つかるかもしれませんし、見つからないかもしれません。どのような結果が出るにしても、実験を繰り返すことにより、宇宙の大きな疑問の1つの答えへの手がかりが見つかるかもしれません。
Source
- BASE Collaboration. “Orders of Magnitude Improved Cyclotron-Mode Cooling for Nondestructive Spin Quantum Transition Spectroscopy with Single Trapped Antiprotons”. (Physical Review Letters)
- Arne Claussen. “Kalte Antimaterie für quanten-aufgelöste Präzisionsmessungen”.(Heinrich Heine University Düsseldorf)
文/彩恵りり 編集/sorae編集部