今から30年前の1984年2月、有人機動ユニット(Manned Maneuvering Unit, MMU)が初めて宇宙空間で使われた。
MMUは宇宙飛行士が命綱無しで船外活動(宇宙遊泳)を行うために開発された装置で、船外活動ユニット(EMU)のPLSS(生命維持装置)と結合され、宇宙飛行士はそれを背負う形で装着する。MMUには窒素ガスを噴射する小さなスラスターが付いており、命綱に束縛されることなく、比較的自由にスペースシャトルの周りを飛ぶことができるようになった。
MMUが初めて使用されたのは1984年2月7日、スペースシャトル・チャレンジャーによるSTS-41-Bミッションの中においてであった。ブルース・マキャンドレスII宇宙飛行士と、ロバート・スチュアート宇宙飛行士がMMUを装着し、実際に宇宙空間で試された。結果は上々であった。
このSTS-41-Bミッションでは、2機の通信衛星ウェスター6とパラパB2が宇宙空間に送り届けられた。しかしその後、衛星側が持つ、静止軌道へたどり着くためのロケットモーターが故障し、地球低軌道に居座ってしまった。しかし両機は後に、このMMUの活躍によって意外な形で復活する。
その2ヶ月後、同じくチャレンジャーによって行われたSTS-41-Cミッションでは、ジョージ・ネルソン宇宙飛行士とジェームズ・ファン・ホーフェン宇宙飛行士がMMUを装着し、1980年に打ち上げられた太陽観測衛星ソーラーマックスを捕まえて修理するミッションに挑んだ。しかし3度捕獲が試みられたもののすべて失敗、さらに悪いことにソーラーマックスは不規則な回転を始めてしまった。その後、地上から衛星を安定させるようコマンドが送られ、回転が安定。翌日、シャトルのロボットアームにより捕獲され、シャトルのペイロード・ベイへと収容された。そして船外活動で修理が行われた後、宇宙空間へ放流、その後ソーラーマックスは無事、観測を再開した。
1984年11月、STS-51-Aミッションではデイル・ガードナー宇宙飛行士とジョセフ・アレン宇宙飛行士がMMUを装着し、この年の2月に宇宙へ送られるも、ロケットの故障で使えなくなっていた通信衛星ウェスター6とパラパB2を回収するミッションに挑んだ。2日間に渡る作業で、無事に両機を回収、シャトルのペイロード・ベイに収容され、地球へ帰還した。
余談だが、ウェスター6は修理の後、香港のアジアサット社へ売却され、1990年に長征三号ロケットで軌道へと送り込まれた。またパラパB2も修理の後、パラパB2Rと名を変え、1990年にデルタIIロケットで打ち上げられている。
MMUは宇宙飛行士の、宇宙空間での自由な移動を可能にし、また衛星の修理やメンテナンスといった、有人ならではの新たな宇宙開発の可能性を示した。
しかし1986年、スペースシャトル・チャレンジャーが打ち上げに失敗、その後シャトルの運用方針は大きく変わり、MMUは危険すぎるとして、以降のミッションでは使用が中止され、二度と使われることはなかった。
その後、命綱なしでの船外活動が行われたのは1994年、STS-64ミッションでSAFERと呼ばれるMMUを小さくしたような新しい装置が試されたときであった。SAFERはMMUよりも窒素タンクが小さくなり、全体的に小型化されたほか、システムも簡略化された。最大の違いは、SAFERは緊急時にのみ使うためのものとして造られている点で、したがって命綱の使用を前提とし、万が一その命綱が外れた場合などにのみ使われる。現に、命綱なしでSAFERが使われたのはこのSTS-64での試験のときだけである。SAFERという名前も、そういった用途から来ているのだろう。ちなみにSAFERとはSimplified Aid for EVA Rescueを略したもので、宇宙航空研究開発機構(JAXA)では「セルフレスキュー用推進装置」と呼ばれている。
SAFERはその後、STS-76(1996年3月)、STS-86(1997年9月)で機能確認試験が行われた後、国際宇宙ステーションの第1回組み立てフライトであるSTS-88(1998年12月)から、船外活動する宇宙飛行士は必ず装着することになっている。
■Shuttle MMU
http://www.astronautix.com/craft/shulemmu.htm