こんにちは、外科医の後藤です。
弾道飛行による宇宙旅行が間近に迫った今日、地球の重力を振り切って宇宙空間へ飛び出し、無重力を体験して再度大気圏に突入する際に、人体にどのような影響が出るかについては不明な部分が多く残されています。
健康な宇宙飛行士だけでなく、さまざまな基礎疾患をもつ宇宙旅行客がこの弾道飛行による宇宙旅行を経験するとき、身体にどのような影響が生じうるのか。
危険はどの程度あるのか、クリアすべき課題は何かなどについて説明します。
弾道宇宙飛行時にかかる身体負荷
遊園地のジェットコースターや遊具などで身近に加速度を経験することができますが、高速かつ短い半径で旋回する戦闘機のパイロットでは、さらに強力な加速度を受けます。
加速度(単位 m/s²)とは単位時間あたりの速度の変化率のことで、1秒間にどれだけ速度が増すかを表しています。
この加速度による力は、身体にかかる方向によって図のように定義されています。
最も危険な加速度は、+Gz(頭部から足先へ向かって負荷がかかる)で、戦闘機が旋回するときにパイロットは強い力で頭から足方向に押し付けられます。
この+Gzが大きくなると、下肢に血液が貯留して心臓へ戻る血液(静脈還流量)と心臓から拍出される血液(心拍出量)が減少し、脳血流が低下してジーロックといわれる失神を招きます(G-induced loss of consciousness: G-LOC)。
この現象はきわめて重大な事故につながりかねないため、その防止策として戦闘機のパイロットでは
- 操縦席を後ろ向きに倒してGzを軽減する
- +Gz負荷時間を5秒以内とする、
- いきみ動作によって、一時的な心拍出量と血圧を増加させる
- 下腹部から大腿部を圧迫する「耐Gスーツ」を装着し、下肢への血液貯留を抑える
などの方法がとられています。
弾道飛行における宇宙船内では、下図のように乗客を乗せたシートを水平に近い角度にすることで、最も負荷に強い胸部から背部に向かう方向(+Gx)に加速度がかかるように設計されています。
最初に実現すると考えられる宇宙旅行の飛行形式は弾道飛行ですが、これには高度15kmから宇宙空間である地上約100kmに到達するまで、時速4000kmの速度で90秒かかります。
この間の加速度は3.5G、宇宙空間に到達すると同時にこの負荷が消失し、無重力すなわち0Gとなります。
この無重力状態は約4分間続き、そこから大気圏再突入によって、加速度は6Gで90秒かかります。
ちなみに、スペースシャトルの大気圏脱出における加速度は最大3G、国内トップクラスのジェットコースターでは最大4.25Gとされています。
弾道宇宙飛行前に旅行客が受ける、パラボリックフライトでは無重力状態となる前後にかかる加速度は2G前後です。
最も危険な+Gz負荷による、脳血流低下の問題
人体にとって最も危険な加速度は+Gz(頭→足方向)ですが、強い+Gz負荷でも短時間であれば失神には至らないとされています。
一方、日本大学による最近の研究成果では、1.5Gという軽度の+Gz負荷でも、20分持続すると失神を招く危険があると報告されました。
脳には、血圧がある一定範囲にあれば脳血流は一定に保たれるという「脳血流自動調節能」が存在しますが、高血圧や脳血管障害の方ではこの「脳血流自動調節能」が低下していることがあります。
この研究は年齢が20歳代と若い健常者に対して行われたものですが、より高齢であったり脳血流自動調節能が低下しているような宇宙旅行者に対しては、より慎重な対処が必要となる可能性があります。
また、身体に-Gz(足→頭部方向の加速度)が加わると0Gzに到達しますが、これはすなわち無重力状態です。
この-Gzに続いて+Gzが負荷されると、著しく耐G性(G tolerance)が低下して脳血流を維持する血圧を保つことが困難となります。
これをPusu-Pull効果といいますが、弾道宇宙飛行において数分間の0G後に、大気圏再突入による+Gzを受けた際に同様の現象が起こり得るか?については調べた限り、おそらく明確な答えはありません。
また、弾道飛行ではありませんが同様に短時間に強い加速度を受けるジェットコースターの乗車によって、子どもで頚や脳動脈の解離を来したという報告や、頭部への強い直線加速度や回転加速度により硬膜下血腫を来す可能性があるとの報告も見られます。
もちろん、ジェットコースターと弾道宇宙飛行を同列に考えることはできませんが、短時間に頭部を含め身体が強い加速度を受ける点は共通しています。
筋肉や骨格が未熟である子どもや、抗血栓薬を内服している高齢者などでは慎重に判断する必要があると思われます。
遠心発生装置による、弾道飛行影響のシュミレーション研究
これまで宇宙へ行った人間は、弾道飛行を含めて550人以上存在しますが、訓練を受け選抜された宇宙飛行士やパイロットであり、一般人で特に持病のある方に同様の身体負荷がかかった場合、何が起こるかは未知数です。
これまでに、335人の基礎疾患(高血圧・心血管疾患・糖尿病・肺疾患・頚や背中の問題)のある被験者に対して、弾道宇宙飛行を想定した遠心力発生装置での加速度負荷を行った研究があります。
遠心発生装置とは、航空自衛隊でも使用されており、訓練者をのせたゴンドラを半径7.62mで回転させ、最大12Gの高Gz環境を作り出すことができる装置です。
この研究では、弾道宇宙飛行を想定した異なる方向の混合重力負荷+Gx/+Gz(最大+6.0Gx/+4.0Gz)などを行い、その間の血圧や心拍数、血中酸素濃度などバイタルサインの測定と、神経前庭機能検査が行われました。
結果は、335人中332人が実験を完了し、最大収縮期血圧217・心拍数192が記録され、被検者共通の訴えとしてグレイアウト (69%)、嘔気 (20%)、 胸部不快感 (6%)といった症状が見られました。
グレイアウトとは、脳血流低下によって視覚障害が現れる現象で、視野の色彩がなくなり灰白視症と呼ばれます。
さらに進行すると網膜血流が遮断されて資格を失う黒視症(ブラックアウト)を生じます。
しかし、これら基礎疾患のある被検者でも良好にコントロールされていれば、弾道宇宙飛行における大気圏脱出時や再突入時の加速度負荷には、十分耐えうると結論付けられています。
さらに、ペースメーカーなど「植込み型心臓デバイス」の入っている被検者2人に対し同じく遠心機による加速度負荷をかけた研究で、身体およびデバイスに明らかな問題はなかったとする報告があります。
同じく、I型糖尿病で「インスリン皮下ポンプ」を埋め込んでいる被検者2人に対する加速度負荷で、血糖の変動は110-206mg/dlにとどまっており、身体およびポンプへの悪影響は見られませんでした。
これらは体内医療機器を持つ宇宙旅行者を想定した研究ですが、いずれも被検者数が2人と少ないため、さらなるデータの蓄積が必要と考えられます。
弾道飛行による宇宙旅行では、ISSなど地球軌道上からの再突入時と比較すると、かかるエネルギーは1/50程度に抑えられる(速度では弾道飛行がマッハ1〜3程度に対して、地球軌道投入はマッハ23程度)とされています。
しかし、弾道飛行に特有の急激な加速度変化が身体にどのような影響を与えうるかはまだ分かっていない部分が多く、実際には多くの飛行を行いデータを集めていく必要があります。
さらに、高い高度を飛行する航空機で問題となる低酸素血症や、気圧外傷などの問題についても、弾道宇宙飛行においてはどのような影響が出るかを検討する必要があると考えられます。
安全な弾道宇宙飛行による宇宙旅行を実現するために、航空医学にもとづいた視点をベースに問題を解明していく必要がありそうです。
参考文献
- Middle Cerebral Artery Stroke as Amusement Park Injury: Case Report and Review of the Literature. Children (Basel), 2017
- Centrifuge-simulated suborbital spaceflight in subjects with cardiac implanted devices. Aerosp Med Hum Perform, 2015
- Tolerance of centrifuge-simulated suborbital spaceflight in subjects with implanted insulin pumps. Aerosp Med Hum Perform, 2015
- Tolerance of centrifuge-simulated suborbital spaceflight by medical condition. Aviat Space Environ Med, 2014
- Cosmonauts’ tolerance of the chest-back G-loads during ballistic and automatically controlled descents of space vehicles. Aviakosm Ekolog Med, 2013
- Physiological responses of astronaut candidates to simulated +Gx orbital emergency re-entry. Aviat Space Environ Med, 2012
- +Gx-tolerance by the Cosmonauts of ISS crews 1, 6-9 and visiting crews 1-7 aboard Soyuz vehicles. Aviakosm Ekolog Med, 2005
- Correlation of the cosmonauts’ physiological reactions to +Gx loads during deorbit with the hemodynamic shifts in the period of short-term microgravity. Aviakosm Ekolog Med. Mar-Apr, 2005
- 軽度過重力負荷中の動的脳血流自動調節能の経時変化. 宇宙航空環境医学, 2020
- 宇宙旅行 事前訓練プログラム PDエアロスペース社
- 「医」を「宇宙」で。 〜SPACE MEDICINE WEBINAR WEEK 2020 DAY5〜 TELSTAR
- 宇宙航空医学入門 鳳文書林出版
- 無駄はまったく許されない究極の機能美、宇宙船デザイン すべてが理に適っている宇宙船は、果たして進化しているのか。TELESCOPE MAGAZINE 大草 朋宏 氏 2013.5.31
Source: ABLab
文/後藤正幸 (Twitter)(Facebook)
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。
Last Updated on 2021/03/09