「ヒッパルコス」は、紀元前147年頃から紀元前127年頃まで活躍した古代ギリシャの天文学者です。古代バビロニアなどのさらに古い時代の天文記録や数学的手法を使い、非常に高精度な天体観測を行ったことから、ヒッパルコスは “天文学の父” とも言われています。
ヒッパルコスの功績は、地球の歳差運動の発見、アストロラーベや渾天儀などの観測機器の開発、そして46の星座を含む星表の作成です。ヒッパルコスの星表は世界最古の星表というわけではありませんが、恒星の見た目の位置に関する記載が数世紀後に作成された星表よりも正確であるほど精度が高く、恒星の明るさを等級で表していたりするなど、星表としての内容が極めて充実しているという特徴があります。1989年から1993年まで欧州宇宙機関(ESA)が運用していた世界最初の高精度位置天文衛星は、その功績を称えて「ヒッパルコス」と献名されています。
しかし、正確なヒッパルコスの功績については議論がありました。ヒッパルコスが作成したオリジナルの星表をはじめ、ヒッパルコス自身によって執筆された文献資料のほぼ全てが行方不明であったことがその理由です。間接的に言及する文献資料しか存在しないため、どこまでがヒッパルコスの功績か、という点が議論されていました。
たとえば、トレミーの名でも知られるクラウディオス・プトレマイオスは、後世に影響を与えた天文学の専門書『アルマゲスト (Almagest)』 (西暦147年頃) を執筆していますが、その中でヒッパルコスの星表を含む、現存していないいくつかの古代ギリシャの文献資料に言及しています。しかし、300年近い時間的な隔たりによる正確性への疑問や、『アルマゲスト』に記されている情報の誤りなどをもとに、ここからヒッパルコスの功績を評価することには議論がありました。そのレベルはさまざまで、『アルマゲスト』はヒッパルコスのデータをそのまま丸写ししただけであるとする意見もあれば、ヒッパルコスの星表はそもそも実在しないという意見までありました。
フランス国立科学研究センターのVictor Gysembergh氏、ティンダルハウス聖書学研究所のPeter J. Williams氏、そしてソルボンヌ大学のEmanuel Zingg氏の研究チームは、この何世紀にも渡る議論に決着をつけうる重要な発見をしました。それは『クリマチ・リスクリプトゥス写本 (Codex Climaci Rescriptus)』と呼ばれる文献の分析で判明しました。アラム語の方言で書かれたこの写本は、10世紀から11世紀にかけて記された146ページ分の旧約聖書および新約聖書についての文献で、エジプトのシナイ半島にある聖カタリナ修道院で発見されました。現在はその大部分をワシントンD.C.にある聖書博物館が所蔵しています。
この写本は、9世紀から10世紀頃に一度記述が消されている、典型的な「パリンプセスト」として知られていました。植物繊維を固めて丈夫な紙を作ることが難しかった時代、重要な資料の作成には動物の皮を加工して作られた「羊皮紙」が使用されていました。ところが羊皮紙は高価であるため、不要となった羊皮紙の文字を削除し、「再生紙」として再利用することが一般的に行われていたのです。このように、過去に記述を消されたことが分かっている羊皮紙のことをパリンプセストと呼びます。
一度羊皮紙から消された文字は、肉眼ではほとんど見えません。文字を復活させて読むために、過去には羊皮紙を傷めてしまう化学反応を利用する方法も用いられました。現在では複数の波長の光で撮影する「マルチスペクトルイメージング」と呼ばれる羊皮紙を傷めない手法を用いることで、パリンプセストを非破壊的に読むことができるようになりました。
2012年、『クリマチ・リスクリプトゥス写本』についてマルチスペクトルイメージングを行ったところ、星の起源に関する神話や星座に言及したギリシャ語の記述が見つかりました。これは紀元前3世紀頃に活躍したエラトステネス (※1) による説明です。そこで2017年に、追加で42枚の分析を進めたところ、9枚から天文学に言及した記述が見つかりました。その一部はアラトスによる『ファイノメナ (Phainomena)』 (※2) に関する記述であることがすぐに判明しました。これらはいずれも5世紀から6世紀に書かれたと推定されています。
※1…古代ギリシャのエラトステネスは天文学と数学に秀でており、地球の直径を正確に求めたことや、エラトステネスの篩(ふるい)と呼ばれる素数判定法を考案したことで知られています。アレクサンドリア図書館などが所属していたムセイオンの館長を務めるなど、その業績から “第2のプラトン” とも呼ばれました。
※2…アラトスは紀元前3世紀頃に活躍した古代ギリシャの詩人です。『ファイノメナ』 (『現象』とも) は、アラトスが著したものでは唯一現存している作品です。星座や天体の運行、天気予報やその他気象論的な話題を取り上げています。
2021年、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の流行にともなうロックダウンの最中に分析結果を熟読していたWilliams氏は、さらに珍しい記述が存在することに気づきました。Williams氏から連絡を受けたGysembergh氏がZingg氏と共に解読したところ、それは天球におけるかんむり座の広がりや、そこに含まれる恒星について言及している星図であることが分かりました。
ギリシャ語の書体や放射性炭素年代測定による分析結果をもとに、ほぼ1ページ分に渡るこの記述は、5世紀から6世紀に書かれたと推定されました。そして何よりも、この記述は幻のヒッパルコスの星表そのものの内容に由来すると考えられる点が重要視されました。
まず、この星図は赤道座標で書かれており、やはり赤道座標で書かれていたとされるヒッパルコスの星表と一致します。また、古代では黄道座標を用いるのが一般的であり、現在のように赤道座標を用いることはむしろとても珍しく、この点からも重要です。
さらに、歳差運動による天球上の恒星の位置のずれを考慮すると、この星表は紀元前129年頃に見られた恒星の位置と1度以内の精度で一致します。紀元前129年といえば、ヒッパルコスが天文学者としてギリシャのロードス島で働いていた頃です。これらの証拠は、羊皮紙から一度消されたこの記述がヒッパルコスの星表という、何世紀も探されていた幻のオリジナルテキストに由来するものであることを強く示しています。
さらにGysembergh氏らは、ヒッパルコスの星表の再評価を行うために、8世紀頃に (おそらくフランスのコルビー修道院で) 書かれた写本『アラトゥス・ラティヌス (Aratus Latinus)』との比較を行いました。この写本はギリシャ語の原本をラテン語に翻訳したもので、周極星座に関する言及があります。Gysembergh氏らは、『アラトゥス・ラティヌス』の「おおぐま座」「こぐま座」「りゅう座」の記述はヒッパルコスの星表を元にしており、恒星の位置に関する記述が高精度であることを確認しました。
今回の研究成果は、幻だったヒッパルコスの星表 (厳密にはその写し) の発見と、天文学者としてのヒッパルコスの再評価につながりましたが、それだけにとどまりません。プトレマイオスの『アルマゲスト』は星表を黄道座標で記しており、赤道座標で書かれたヒッパルコスの星表とは異なります。このことから、プトレマイオスはヒッパルコスの星表を丸写ししたのではないことがわかります。また、プトレマイオスのデータには、ヒッパルコスの星表を単純に変換しただけでは説明がつかないほど位置が大幅にズレているものもありました。このことは、プトレマイオスがヒッパルコスの星表だけでなく、プトレマイオス自身やその他の人物による天体観測の結果をもとに『アルマゲスト』を著したことを示しています。すなわち、今回見つかったヒッパルコスの星表は、天文学者としてのプトレマイオスの再評価にも間接的につながっているのです。
今回の研究で記述内容が復元されたのは、『クリマチ・リスクリプトゥス写本』のごく一部です。写本の残りの部分や、その他のパリンプセストの分析を行うことで、失われたヒッパルコスの星表がさらに見つかる可能性は大いにあります。
Source
- Victor Gysembergh, Peter J. Williams & Emanuel Zingg. “New evidence for Hipparchus’ Star Catalogue revealed by multispectral imaging”. (Journal for the History of Astronomy)
- Jo Marchant. “First known map of night sky found hidden in Medieval parchment”. (Nature)
文/彩恵りり