金星大気の近紫外線吸収源は硫黄分子?生成過程をシミュレーションで解明
【▲ 図1: 1974年のマリナー10号の観測データを再構築して生成した、高度約60kmの金星大気の疑似カラー画像。白っぽい部分は主に硫酸を含んでおり、紫外線をよく反射しています。一方で黄色から赤色の部分は近紫外線を吸収していますが、吸収している物質の正体はよくわかっていませんでした (Image Credit:NASA/JPL-Caltech) 】

多くの性質が似ていることから、の兄弟星とも呼ばれる「」ですが、には多くの違いも存在します。

ほとんどが二酸化炭素でできた分厚い大気により、の表面は400℃を超える気温と深海1000mにも匹敵する圧力に晒されています。この大気には、硫酸などの腐食性物質が満ちています。このように過酷で極端な環境は、ではの他に存在せず、非常に興味深い研究対象の1つです。

【▲ 図1: 1974年のマリナー10号の観測データを再構築して生成した、高度約60kmの金星大気の疑似カラー画像。白っぽい部分は主に硫酸を含んでおり、紫外線をよく反射しています。一方で黄色から赤色の部分は近紫外線を吸収していますが、吸収している物質の正体はよくわかっていませんでした。 (Image Credit:NASA/JPL-Caltech) 】
【▲ 図1: 1974年のマリナー10号の観測データを再構築して生成した、高度約60kmの金星大気の疑似カラー画像。白っぽい部分は主に硫酸を含んでおり、紫外線をよく反射しています。一方で黄色から赤色の部分は近紫外線を吸収していますが、吸収している物質の正体はよくわかっていませんでした (Image Credit:/JPL-Caltech) 】

金星はの隣の惑星であり、その大気についてはかなり長い間研究がされておりますが、解明されていない謎も多くあります。

その1つは、大気中に含まれる物質です。金星の大気には、波長365nm付近の近紫外線をよく吸収する、モヤのような粒子状または気体の物質が含まれています。その正体は硫黄化合物ではないか、と長年推定されてきたものの、分子の正確な化学組成には議論がありました。

まず、硫黄は多種多様な化合物を形成するため、単純に候補が多すぎるという理由があります。また、硫黄をはじめ金星の大気に存在する酸素や塩素といった物質は非常に腐食性が強く、実験室で反応を再現するには危険を伴います。

【▲ 図2: 硫黄分子の様々な形態。私たちが普通に見る硫黄は、八硫黄分子 (S8、下段右端) が多数積み重なって構成されています (Image Credit: Jackson, et.al.) 】
【▲ 図2: 硫黄分子の様々な形態。私たちが普通に見る硫黄は、八硫黄分子 (S8、下段右端) が多数積み重なって構成されています (Image Credit: Jackson, et.al.) 】

近年、この謎の物質の正体は硫黄原子が数個結びついた硫黄分子ではないかという説が提唱されました。

私たちが日常的に見る硫黄は、硫黄原子がリング状に8個結びついた「八硫黄 (S8)」という分子ですが、もっと原子の数が少ない分子も、不安定ながら存在することが分かっています。原子の数が異なる硫黄分子では吸収する紫外線の波長がわずかに異なるため、これらが複雑に混ざった金星大気では、吸収される紫外線の波長も複雑になってしまいます。この複雑さが正体の解明を妨げている、と考えられます。

では、金星大気では硫黄分子はどのように生成されるのでしょうか。その出発点は、硫黄原子が2個結びついた「二硫黄 (S2)」であると考えられています。二硫黄は不安定なため、このままだと紫外線で分解されてしまいますが、別の硫黄原子と出会うことで3個、4個、……と数が増えていき、最終的に八硫黄になるとかなり安定して、簡単には分解されなくなります。

問題は、出発点となる二硫黄のさらに前の状態が不明であるという点です。硫黄原子が1個の状態はとてつもなく不安定なため、別の硫黄原子に出会うものより、大気中に含まれる他の原子や分子と結びついてしまうものの方が、はるかに多いと考えられるからです。

2016年頃より、硫黄原子の元は「二酸化二硫黄 (S2O2)」ではないか、という説が有力視されてきました。これは、金星の大気に豊富に含まれている一酸化硫黄 (SO) 同士が合体して生成される分子です。

二酸化二硫黄は、分子構造が「O-S-S-O」という折れ曲がった線状の分子であり、硫黄原子同士が結びついているという特徴があります。2016年の研究では、量子分子動力学法と呼ばれるシミュレーションにより、二酸化二硫黄に結びついている酸素原子が紫外線によって切り離されることで二硫黄が生成されるのではないかと推定されました。

ところがその後、「二酸化二硫黄説」は旗色がやや悪くなっている、という現状があります。紫外線の吸収が観測されるのは主に高度60km程度の中層大気ですが、この高度においては、二酸化二硫黄の元となる一酸化硫黄が極めて少ないのではないか、という指摘があるためです。

ただし、二酸化二硫黄説もその反論も、どちらも不確かさが大きく、今のところ強く肯定も否定もできないという状況となっています。二酸化二硫黄説に反論する論文では実験室で実際に実験を行った結果が反映されておりますが、実験は非常に壊れやすい分子を観察するため、低温低圧の環境で行われました。これは、金星の中層大気の環境とは大きく異なるものです。

バレンシア大学のAntonio Francés-Monerris氏などの研究チームは、このモヤモヤする状況を打破する研究を行いました。過去の研究と異なり、現在ではここまで幾つか挙げてきた不安定な硫黄化合物の性質についての理解が深まっています。これにより、同じ量子分子動力学法を使用した研究でも、金星大気の状況をより正確にシミュレーションすることが可能になりました。

【▲ 図3: 量子分子動力学によってシミュレーションされた、様々な形態の二酸化二硫黄の分解の様子。今回の結果では、二硫黄を生成する主要な源ではないことが明らかにされました。 (Image Credit: Francés-Monerris, et.al.) 】
【▲ 図3: 量子分子動力学によってシミュレーションされた、様々な形態の二酸化二硫黄の分解の様子。今回の結果では、二硫黄を生成する主要な源ではないことが明らかにされました。 (Image Credit: Francés-Monerris, et.al.) 】

今回の研究では、まず二酸化二硫黄が光を受けてどのように分解するのかについて、二酸化二硫黄の他の形状も含めて検証しました。その結果、二酸化二硫黄は二硫黄の主要な生成源では無いとする反論が裏付けられることとなりました。二酸化二硫黄から二硫黄が生成されるに至る数段階の反応のどこかで酸素と結合してしまい、二硫黄の生成が阻害されやすいとシミュレーションされたためです。

【▲ 図4: 上下の化学反応は、今回の研究で明らかにされた、二硫黄分子を生成する主な化学反応のルートです。(Credit: 彩恵りり)】
【▲ 図4: 上下の化学反応は、今回の研究で明らかにされた、二硫黄分子を生成する主な化学反応のルートです。(Credit: 彩恵りり)】

では、そもそも硫黄分子は紫外線の吸収源となるのでしょうか? 今回の研究では、別の生成源が硫黄分子を生成するという結果も同時に示されました。

金星の大気中に含まれている一塩化硫黄 (ClS) が一酸化硫黄と反応すると、一酸化二硫黄 (S2O) と塩素原子 (Cl) が生成されます。この一酸化二硫黄に光が当たると酸素原子が離脱し、二硫黄になるというわけです。シミュレーションの結果、一塩化硫黄と一酸化硫黄との反応による二硫黄の生成は、二酸化二硫黄の分解よりもずっと多いことが判明しました。

実際の金星の大気では、硫黄・塩素・酸素の各原子がより複雑に結合した高分子化合物が存在する可能性があり、より複雑な大気化学の様相を呈している可能性もあります。金星大気の高精度な観測が進めば、今回の研究も併せて、金星の紫外線吸収源に関する謎の解明が進むかもしれません。

また、金星の現在の大気は、火山ガスや誕生直後の地球、あるいは外惑星に見られるような酸素に乏しい大気と似ている面があります。金星の大気を研究することは、これら特徴ある気体成分の解明にも繋がります。

 

Source

文/彩恵りり