英国の惑星科学者で、火星探査機ビーグル2計画を推進したコリン・ピリンジャー( Colin Pillinger)氏が今週、亡くなった。70歳だった。

ピリンジャー氏は1943年に生まれ、英国のオープン大学で長年、惑星科学者として活躍、初期には、アポロ計画で得られた月の石の解析にも従事した。2005年までは同大学の惑星&宇宙科学研究所(PSSRI)の所長も務めていた。長年の業績から、2003年には大英帝国勲章(CBE)を与えられている。

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また特に、英国初の火星探査機にして、初の火星着陸を狙ったビーグル2計画を主導したことでも知られている。ビーグル2という名前は、かつてチャールズ・ダーウィンが探検で使用したことで知られる、HMSビーグルから採られた。ダーウィンがHMSビーグルでガラパゴス諸島を訪れ、多種多様な生物を観察し、進化論への着想を得たように、ピリンジャー氏もまた、ビーグル2によって火星の生命の手がかりを得ることを目指していたという。

ビーグル2は欧州宇宙機関(ESA)の火星探査機マーズ・エクスプレスと共に2003年6月に打ち上げられた。そして同年12月19日にマーズ・エクスプレスから分離、12月25日に火星の大地に着陸するはずだった。だがそれ以降、ビーグル2は消息を絶ち、ミッションは失敗に終わってしまった。

その後、ピリンジャー氏は後継機となるビーグル3を提案するも却下され、また米航空宇宙局(NASA)の火星探査機マーズ・サイエンス・ラボラトリーへ観測機器を搭載しようとするも、これも却下され、日の目を見ることはなかった。

しかし、ビーグル2は英国内での宇宙探査に対する支持を押し上げ、またピリンジャー氏も人気者となりコメンテーターとして活躍するなど、宇宙探査の普及活動を展開、独特の髪型や西部地方訛りも相まって、多くの人々から親しまれた。英国はもともと宇宙開発、宇宙探査への関与は薄かったが、2004年に打ち上げられたESAの彗星探査機ロゼッタに搭載された彗星着陸機フィラエの観測機器の開発にオープン大学が参加、またESAとロシアが現在開発中の火星探査機エクソマーズなど、彼の宇宙探査や宇宙の生命に賭けた熱意は、次世代へ確実に受け継がれつつある。

 

■Tributes paid by The Open University to “inspirational” planetary scientist Professor Colin Pillinger
http://www3.open.ac.uk/media/fullstory.aspx?id=27359

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